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双極症のリハビリについてー強迫、双極症ー 闘病記【43】

医者の意見

前回はアナフラニールという薬によって私の双極症と強迫症が大きく改善されたことについて述べました。今回はその後、社会復帰に向けたリハビリの様子について述べたいと思います。

状態がよくなって2ヶ月ほど経ったので、私は医者に何をしたら良いのか聞きました。

なぜ聞いたかというと、医者は私の最低な状態を知っており、リハビリの進め方やその内容についてとても慎重だったからです。

少し状態がいいからと言って、何でもしていいというわけではありませんでした。

私もつらかった時期が長かったので、今の状態をキープすることが最優先だと思って、医者の意見を尊重していました。

またこの時は自分に合う薬を見つけてくれたということで医者には感謝し、言うことには従おうと決めていました。

プールと読書の日々

さて医者は本を読むこととプールに行くことを許可してくれました。プールは6度目の入院する前から割と調子が良いときに通っていたのです。

この頃には車を運転することが出来るようになっていたので市営プールに通うことが出来ました。

あとは家事の手伝いなどをして過ごしていました。毎日が充実しているように感じました。あれほどつらくて寝てばかりの日々を過ごした後だったので喜びは格別でした。

しかし人間という生き物は愚かです。だんだん充実した生活に慣れてしまい、飽きてきたのです。出来るということが当たり前になってしまったのです。

ファイナンシャルプランナー

そこで医者に思い切って「バイトをしていいですか?」と聞きました。すると「バイトはまだ早い」と言われました。

私は残念に思いました。そこで何をしてもいいのか考えました。

バイトがだめということは責任が生じることはだめなのだと思いました。

そこで私は趣味を始めるのがいいと思いました。いろいろと考えたのですが実益のある資格を取ろうと思いました。自分の頭が正常に働くかを試してみようと思ったのです。まだ「普通」であらねばならぬという思いがあったのです。

具体的にはファイナンシャルプランナーの勉強を始めました。勉強が楽しいというよりも自分のペースで進めることが出来たのがよかったです。

昔からドリルのようなものは比較的得意だったのです。自分で一日の目標を決めて勉強を進めていきました。

勉強を進めていくと、ある程度達成感がありました。

試験の場所

しかし問題となったのは資格の試験を受ける場所です。試験は定期的に県庁所在地で行われていました。そこまでどうやって行くのかが問題となったのです。

車を長時間運転する自信はありませんでした。そうだからと言って電車に乗ることは怖くて出来ませんでした。

医者も「遠方に行くことはやめてください」と言っていました。そこで試験会場に行くことが困難だということで資格の試験を受けることはやめました。

ボランティア

私はまた時間が出来てしまいました。医者にバイトをしていいかと聞きました。医者は今度も許可してくれませんでした。

そこでまた考え、思いついたのがボランティアでした。ボランティアなら責任は軽いですし、うつ状態になって行けなくなっても他人に迷惑をかけることが少ないだろうと思ったからです。

この時はとにかくバイトをすることが目標だったので、それにつながることがしたいと思いました。

ところがネットでボランティア活動を探しても見つかりませんでした。私の住んでいる地域が田舎だったからです。

寺の掃除

そこで思いついたのが寺の掃除でした。以前お世話になっていた浄土真宗のお寺の掃除を手伝おうと思いました。

しかし前に述べたように私は一度浄土真宗を捨てた身です。ボランティアとはいえ、もう見放されて断られるかと思っていました。

それでも家族と医者が賛成してくれたので勇気を出して行ってみることにしました。

また最初に訪れた時と同じように突然訪れました。電話してから行く方が良いのは分かっていましたけれど、何故か飛び込んでみようと思ったのです。

そして行ってみると師がいました。師は「久しぶりだね~」と嫌な顔をせずに私を受け入れてくれました。とてもうれしかったです。

でも連絡もせずに勝手に行かなくなったということがあったので、どこか悪い気がしていました。

そして寺を掃除させてくれませんかと言いました。師は簡単に承諾してくれて、掃除のやり方を教えてくれました。私の意図をくんでくれたのでしょう。一人で出来ることを指示してくれました。

私が「病気で行けない日があるかもしれません」と言うと、「やろうと思った時に来てくれればいい」と言ってくれました。

私はとてもうれしく思いました。こんな自分を受け入れてくれるところがあることに感謝しました。

本当に自分勝手に通うことをやめたにも関わらず、あたたかく迎え入れてくれた恩は忘れないと思います。師は私が想像するよりはるかに偉大でした。

そしてお寺の掃除をすることにしました。もちろんプールに行くことと読書は続けていました。

師が指示してくれる掃除は一人だったので気楽でした。そして1時間でも仕事のようなことが出来て充実感がありました。

これはバイトにつながると思いました。この時はとにかくバイトをすることを至上命令のように思っていたのでした。

このときも「人は働くべきだ」とか「人の役に立たなければならない」と強く思っていました。「~であるべきだ」「~でなければいけない」という思考が強く残っていました。

そしてまたお寺の法話を聞きに行くようになりました。その度に師は掃除してくれてありがとうと声をかけてくれました。

そのことがとてもうれしかったです。自分みたいな人間が、少しでも人の役に立てているということを誇りに思いました。

森田療法との出会い

そんなある日、図書館で森田療法について書かれている本を借りました。理由は何となく目にとまったからでした。

読んでみるととても興味深い内容でした。森田療法が説明する強迫症のメカニズムについての記述にひかれるものを感じました。

また森田療法の本を読むと強迫症の症状が一時的に楽になる気がしたのです。これには驚きました。

それから私は森田療法にはまりました。図書館で関係がありそうな本を全部借りました。

それでもまだ読みたくて森田正馬先生自身の著作を買って読むことにしました。私にとって森田療法は強迫症を理解する上で非常に役に立ちました。

次回は森田療法について述べてみたいと思います。

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