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フランスのナショナルアイデンティティ「表現の自由」

フランスの表現の自由は、我々日本人の感覚とだいぶ違うようです。

#日経COMEMO #NIKKEI

イスラム教・キリスト教など宗教に関係なく、宗教への冒涜とも思える批判に関しても「積極的表現の自由」が保証されているのです。

我々日本人の場合(アメリカ式表現の自由)、信者への配慮から特定の宗教への冒涜的な表現は控える傾向にありますが、フランスではむしろ冒涜的表現に関してもあえて「表現の自由」を与えることが重要との認識。

フランスの政治学者ファブリス・イベルボワン教授によると、

アメリカ式表現の自由とは、特に英語圏に普及している考え方で、言論・表現の自由は保証されているが、同時に隣人に思いをはせるという条件付きの表現の自由。社会を構成する個人が気持ち良く生きることを考慮し、神の冒とくなど信仰を持つ隣人を傷つけるような表現は控えるべきという考え方。

シャルリエブド事件から続く今回の事件では、歴史地理の中学校教員サミュエル・パティさんがパリ近郊でイスラム系テロ(チェチェン系難民)に刃物で襲われて首を切られたという。

パティさんは表現の自由に関する授業で、週刊紙シャルリエブドによるイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画掲載の問題を議論(上掲の日経新聞記事)

イスラム教徒の教え子には配慮して、前日に授業の趣旨を生徒に説明した上で、聞きたくない生徒は教室外に出るよう配慮したらしいし、毎年同じ授業を行なっているらしいが、今回はムスリム系学生の家族親戚に情報が広まり事件にいたったらしい。

フランス革命によって教会権力・絶対王政権力から血を流して勝ち取った国民の権利という位置づけから、フランス式「表現の自由」は、革命から続くフランスの最も重要なナショナルアイデンティティ

教授曰く

共和国の伝統・歴史に根差した言論の自由の権利をフランスのエスタブリッシュメントは絶対に手放さないだろう。それが実は「二重基準」であったとしても、たとえ少数派のムスリムたちが表現によって傷付いていたとしても、フランス人であれば、共和国の理念に倣うべきという信念は変わらない。もし揺らげば、共和国の概念そのものが崩壊してしまうからだ。

そして

教会権力を政治から排除すること、批判し、笑うこと。これこそが共和国の建国の精神だ。これをなくしては共和国自体が成り立たない。

なるほど、それだけ重要な表現の自由であれば、全く我々の感覚とは違いますし、あえて過激にイスラム教を冒涜するのも理解できます。

ただ、教授が言っているようにこれは「普遍的」ではないですね。

フランス国内で、このナショナルアイデンティティを徹底させるべく、移民にも難民含む永住している外国人居住者に対しても、教育しているということです。

とはいえ、少しでも異文化に配慮するのであれば、同じようにキリスト教、ヒンドゥー教など、他宗教への冒涜的表現も同時に積極的に教育すべきかもしれません。

*もしかしたら、キリスト教などへの冒涜的表現も授業では行なっていて、この場合は事件になっていないのかもしれませんが。。。(ただしユダヤ教に関してはナチス問題の関係上意図的に制限かけているらしい)

*写真:2014年夏 パリ(リヨン駅近く)

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