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odoru踊るaruku歩く

最近、朝起きてから散歩する

埼玉のベットタウンだけど、ほどほどに田舎で

田んぼのあぜ道とかふらっと1時間くらい

原っぱ着いたら裸足になって太陽礼拝とか逆立ちとか

ここ二日くらい小春日和 早く春来い 

気持ちいい天気だし、ちょっと踊ろって

靴履きなおして 

イヤホンつけて

さあ

・・・

あれ、踊れない 

なんで どして

とりあえず腹減ったから帰る

もやっとしたから夜また踊りにいって

また踊れない

んんん

とりあえず休憩

栗あん団子食してちょっと歩く

あ、そーゆーことか

踊る、と、歩く、の境目がなくなってる

というよりも、踊る、という意識が薄くなった

音楽を感じる。音楽の中にいる。

その時点で身体は踊りになっている、踊ろうとしなくても

だから踊ってても歩いてても同じじゃない?って

ダウンやアップしたり、ステップを踏んだり、ウェーブを通したり、

ずっと疑問があった 無理に踊ろうとしてる

音楽を表現する。

その意識がなくなったのかもしれない

きっかけは朝の散歩 だけどもっと前の記憶

去年バイクで1カ月半くらい日本を旅した時

海、山、川、森林、滝、岩、草原、自然とセッションした

そこでは音楽は流さない

自然とフィーリング。呼吸にリズムがついた。

音楽の外側じゃない、ダンサーもミュージシャンであるはず

音楽と在る。

自分の中で完結してしまっていた内内の意識とは違う

内内は音楽を少し無視してた、フィーリングのみ、ある意味大事だけど

音楽と地球と自分

音楽を聴いて、山頂から見下ろす

人間の小ささに気づいた 地球の大きさを感じた

音楽はとにかく広かった。

耳以上に、身体、空間を包んでくれる  あゝ音楽。

身体が溶け込みすぎて、踊りがいらなくなりそう

踊らずとも踊っている。

云わば、無踊

牽いては、無刀

バカボンドがバイブル

宮本武蔵、柳生石舟斎、上泉伊勢守信綱

動け 揺さぶれ 言葉を振り切れ

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言葉にした途端に遅れてらあ  by 宮本武蔵(バカボンド)

・・・

こんだけ言葉にしたくせにひっくり返す

踊らなくていいって訳ではないよなあ

表現する、魅せる。

ここには常に向き合っていく

さもないと老いて枯れる、仲間にも置いてかれる

斬り合いみたいなセッションに生き心地を感じる

そこは、剣鬼一刀斎

この遊びに終わりはないのう・・・・・・!!

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踊りがスランプ入った

思考だけ進んでる

どこに?

まあいいか。

とにかく早くクラブで遊べるようになってくれ

このままじゃ生きる屍


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