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「赤ちゃん日記」にみる夫婦の一触即発

子供が生まれたら、「赤ちゃん日記」をつけることは、結婚する前から決めていたことだった。その昔、ラジオで聞いた藤本義一サンの講演会で勧めていたからだった。時代背景としては子供の不良、反抗、家出、子から親への暴力などが問題となっていた時期なのかもしれない。だから、そうした演題で作家の藤本サンが話していたのだろう。

これを聞いたのは学生の頃だったが、なぜかずっと頭の片隅に残っていた。赤ちゃん日記のポイントはふたつ。

① 日記といっても毎日書く必要はない。
そもそも子育てに忙殺され疲れている状態で書けるものではない。笑った、泣いた、熱が出た、それだけでいい。

② 子供に渡すタイミングは、どうにもコミュニケーションが取れなくなった時。
手渡す前提でなくていい。自分の日記なのだから。だが、もし子供が家出をするとか、暴力をふるいそうだとか、自分とまっとうなコミュニケーションが取れなくなったら黙って渡せと。

① でハードルが下がり、②でなるほど、と安心した覚えがある。もしホントに金属バットで殴られれば日記を渡す間もなく怪我するけれど。

三連休、手つかずの段ボールに入った写真を整理していたら、長男の「赤ちゃん日記」が出てきた。最初は毎日書いているが、案の定日付がどんどん飛んでいく。①は黙っていても自然とそうなった。でもそれでいいのだ。それがよかった。そしてうちでは幸いなことに②に該当することはなかったため、手渡すことはなかった。

日記は、当時住んでいた香港の自分のアパート住所へ、長男に宛てた封筒に入れてポストに投函した。その封筒のまま段ボールに入っていた。おかげでアパートの部屋番号を懐かしく思い出した。

日記は私は日本語で、妻は中国語で当時の様子を記している。最初は子供のことを書いているが、次第に夫婦それぞれ心情吐露の場になり、ほとんど「赤ちゃん日記」ではない内容になっていた。相手を思いやったり、愚痴を記していたり。

(本当は罵倒したかったのだろう。文字に残ることで思いとどまってくれたのは賢明と言える)

書き連ねることで鬱憤が晴れたかどうか、定かではないが我々は別れることなく無事に子育てをほぼ、終えつつある。

長男が子を持つまで、渡すのはやめておこう。

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