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恐ろしい部活顧問

 体育会系の部活の顧問は、なぜ恐ろしい顧問が揃っているのだろう。

 今まで、体育会系で、データドリブンな顧問を一人も見てない。

 アメリカのプロチームは、間違いなくデータドリブンであり、一人一人の選手の質も高い。

 背が低いプレイヤーしかいないバスケのチームであれば、「物理的に劣勢になることを予測されるから、3ポイントを全員強化する」、「相手チームのどちらのサイドが外からの攻撃に弱いか」、「誰を抑えさえすればゴールされることは最小限に抑えられる」などの分析をして勝利へ導くことは可能だと思う。

 今では分析する監督やコーチも普通かもしれないが、昭和の公立中学レベルではまずいなかった。

 部活の顧問は、同じ学校に所属する教諭でもある。これは、「そうしなければいけないのか」と言いたい。

 外部からプロに来てもらって指導料を払って指導してもらえれば、生徒に対しては、チーム外のことがバイアスになることもないため、公平な指導が望めるだろう。

 部活の顧問をやらされることで、教諭のプライベートな時間はすべて奪われる。コーチを外部から招聘すれば、そんな問題も解決する。

 義務教育の公立中学で部活を強くしようが弱いままでいようが、学区内の学生は何もしなくても自分の学校に来るのだし、強くなったところで学区外から優秀な生徒を呼ぶわけでもないなら、なぜ手間をかけるのか、と思っている学校関係者ばかりだろう。

 しかし、学校に所属する教諭が、部活強化と称して多くの体罰をしたことが明るみに出て、校長が謝罪するより、もともとどこかのプロチームで実績を残した人を招聘した方が、学校の評判は良くなることはあっても、落ちることはないだろう。

 学校で教えなくても、そもそもバスケを教えることがその人のライフワークなら、学校で体罰と呼ばれる可能性のある指導をして、人生を棒に振るだろうか?

 そのコーチだって、学校専属で教えるわけはないわけだし、いくつかあるうちの一つとして教えるなら尚更、少ない時間で高い業績を残すための効率的な練習プランを考えるはずだ。

 だから、部活指導のアウトソーシングは悪い話ではない。

 日本と言う国は、そもそも人を雇うことに関して間違った考え方をしている。

 「有能な人材を安値で雇えば、コスパがいい」と思っていないだろうか?
 
 投資額とパフォーマンスは比例していると思う。

 投資をリスクと捉えてもいい。リスクが低いものに、高いリターンを本当に望めると思っているのだろうか?

 人間の心情的に考えてみればよい。

 一公立中学または高校のバスケ部を5年以内に全国大会に出場できるまでに育てて欲しい、という契約で仮に年1000万円で契約したとしよう。

 5年で5000万だ。雇われる人は、他でも名の知れたチームで監督をしていたとする。

 学校の部活も毎日みっちり体育館が取れるわけでもない。

 コートが取れない曜日もある。

 そういう時は、自主練をキャプテンに任せ体力づくりをしてもらう。

 体育館のコートが使える時、招聘した監督ないしはコーチに来てもらい指導をお願いしたとする。

 契約した金額も結構高い金額。

 そんな仕事を、体罰や悪い評判が立つようなことをして棒に振るやつが多くいるとは思えない。

 ごく少数、貰うだけもらって悠々自適に過ごす人もいるかもしれないが、まともな人であれば自分のブランドも守り、契約も守ることの方が多い。

 しかし、この金額微々たるものであれば、別に失ってもいい、と思ってしまうので、熱も入らないのが人情だ。

 しかし、昭和の文化の残る現代社会でも、日本は人材に支払う給与を買いたたいていると思える節がある。

 外資系の多くは、転職面接でオファーしてくれる年収はベース給与であることが多く、月額は12等分したものと分かりやすい。

 これが国内企業となると、想定年収1000万とか言いながら、月収62万と書かれてあったりする。

 その内訳には、62万が基本給ではなく、基本給は40~50万の間で差額は見込残業代とか、何かの手当という名称で、ボーナスや退職金の係数に掛ける基本給をできるだけ減らそうと実にせこい。

 「コミットしない人にコミットはしない」と言うのは人情だろう。

 団塊ジュニアの世代では、部活や学校での体罰は当たり前の時代だった。

 だからこそ、怖い顧問が多く存在した。

 ただ、体罰を禁じる法律がなかったわけではない。

 社会が容認してきただけだ。
 
 当時でも表向きは体罰を禁止していたが、体罰ではなく愛の鞭という容認の仕方をしてきた。

 それが昨今では容認されなくなっただけだ。

 なぜか人間の多くは、自分が子供の頃にやられて嫌だったことを、大人になってやらないようにするのではなく、あの頃の復讐とばかりに別の誰かに同じような嫌なことをする確率が高い。
 
 幼少期に虐待を受けた人は、大人になって自分の子供か他人の子を虐待するニュースも流れる。

 虐待を受けてきたけど、大人になって虐待をしない人もいるわけだから、因果関係はなく、単なる確率の問題に過ぎないかもしれないが、パターンとしては多い。
 
 なかなか変わらなかった体罰に対する評価が変わってきたのだから、部活の顧問も外注するとか、民間に任せて欲しいと願う。

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