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美大受験経験者が山口つばさ著[漫画]『ブルーピリオド』を読んで思うこと

芸大受験のシビアな世界

私は私立美大受験に2度も失敗しているので
(結局社会学部に行った)、
美大生や芸大生に対する尊敬を抱くと共に、
どこか恐れ多くすら感じてしまう。
敬う気持ちを超えているものがあるのだ。

私には芸大受験というものが巨大なモンスターに思えて、
それをこなした猛者…となると、私にとって神なのだ。
実際、芸大受験というのは…

私が書くのもおこがましい話ではあるが、芸大って大変らしいんすよ。
受験のためのデッサン練習からして、
(美大・芸大予備校での話)
9時から昼休憩挟んで夕方までとかのデッサンを、
全集中力を使って、まいに〜ちやる。
終わったらバイトに行く浪人生もいる。
学科も勉強しなければならない。

描いたものを講師がいいと思う順に並べて、
「講評」というものも毎回やる。

これがかなり神経削られる。
描いたものが順位づけされること自体にダメージを喰らうし、
精神論をぶつけられたりとか、
「もっと馬鹿になって描きなさい」とか、
「アリンコになって太陽とお友達になりなさい」とか、
「モチーフを愛しなさい」とか、
抽象的なことを言われる。
講師の好みをぶつけられる場合もあって、それに耐えなければならない。

誰かのうまい絵を真似しているだけでは、到底受かりっこないのである。

修行僧

いいと思う絵を参考にしたり、先生・先輩の助言を聞くかたわら、
オリジナリティも追求しなければならない。
受かるのはほんの一握り。

問題はですね、「受かって、さて?」ということである。
画家として生きていくのか、美術の先生になるとか、
広告代理店に勤めるとか、デザイン会社に勤めるとか、
色々あると思うけど、
この本の著者の山口さんのように漫画家になるのが、
最近の芸大生の成功例として語られるように思う。

手の込んだ絵を何百枚も、
話の構想も書いて描かなければいけないという「根性」の職業ではあるが、
この根性が、芸大受験や芸大で何百何千何万と絵を描いていくことで
養われているのではないか。
そのようなことを、「かくかくしかじか」という漫画の感想でも書いた。

「私は絵で食べていけるのか」と自問自答しながら、
他人の意見を取り入れ、しかしそれにとらわれすぎず、
オリジナリティを模索しつつ、毎回デッサンや創作に挑む。
適度に自分を労り、息抜きしなければアイデアも浮かばない。
学科ももちろん勉強しながら。
受験生というより、ほとんど修行僧である。

才能と運を
計画性とメンタルを維持するスキルで引き寄せる

しかし、私の印象とは裏腹に、
芸大を出たかつての講師や知り合いを思い浮かべてみると、
彼らは至って普通の「人間」に思える。
多少はアル中だったり、躁鬱傾向があったり、
変な趣味を持っていたりということはあるのかもしれないけれど、
天才肌というよりは常識人と言える人たちであった。

彼らと私のちがいとは、
計画的にことにあたり、強運を引き寄せた人
であるか否かであるように思う。

大谷翔平にだって言えることかもしれないけど。

私は、芸術に携わるのだから、
計画的にことに当たらなくても良い、
と大いに勘違いをしていた
のかもしれない。
受験勉強も、自分のメンタルを維持することも、
計画性やスキル(技術)なのかもしれないと最近思う。


八虎の芸術に対する真摯な姿

この本の主人公、八虎は芸大現役合格。
その結果と共に、これから自分がどうやって芸術と向き合っていくか、
悩む過程が、芸大出身の漫画家ならではの視点で描かれている。
そして、実際の絵画が漫画に使われているのが良い。

ある意味「チャラい」とも思える八虎が、
真摯に、実直に芸術と直面する様は、まさに苦悩に満ちている。

まず美大・芸大に入るための受験勉強のモチベーションを保つこと。
入ってからも仲間やライバルと切磋琢磨し
自分がどのような作家になるのかイメージし創作すること。
作家として生きていくために才能を開花させること。
才能を維持すること。
売れるために自分の本意でないこともするかもしれない。

そのような苦労が芸術家には付きまとう。

『リボルバー』のゴーギャンの言葉

これも以前感想を書いたが、
「リボルバー」という原田マハさんの小説の中で、
ゴーギャンがこのような言葉を言う。
あなた方には思いもよらない苦悩が、私たち(画家)にはあるのです

苦悩が付きまとう人は画家でなくてもいるのかもしれない。
しかし画家という職業をえらぶことは、苦悩を引き受けること。
一生苦悩を背負い続ける。
そんなふうに覚悟を決めた言葉に思える。

逆境が芸術を産む

「逆境は芸術を産む」という言葉がある。
画家の苦悩。音楽家の苦悩。小説家の苦悩。

自殺に追い込まれる作家はたくさんいるし、
体が不自由な芸術家、精神的に危うい人も、
社会的な不条理に飲まれかけた人も、
素晴らしい作品を世に生み出している作家は、
何らかのネガティブな問題を抱えている。

八虎は、どちらかといえば、
「恵まれて生まれ育ち、
その葛藤のなさに芸術家としてこれでいいのかと悩む」タイプに思える。
実際、仲間を亡くした芸大仲間の葛藤を思い、
自分が当事者でないのに作品にして良いのかに悩んでいる。

苦悩を引き受ける職業

芸術家になることは、苦悩を引き受けることなんだろう。
絵画を完成させ、それが人の心を動かす時に生まれる恍惚と引き換えに。

芸術家にならなかった私は私なりに、
絵を描きたい衝動を抑えられない、
発表したい欲望を抑えられないことに悩んではいるのだが。

苦悩を引き受けて職業にすると決めた人には、
大きな「覚悟」という違いがあると思う。

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