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美大受験経験者が東村アキコ著[漫画]『かくかくしかじか』を読んで思うこと

元美大受験生

美大受験を2度して、諦めて一般の大学に行った経験がある。
今思うと、デッサンの素地もなく、甘えた考えで受かるはずもなかった。
あれから数十年。まだ美術への憧れを捨てられずにいる。

そういう人間が、東村アキコ著(漫画)「かくかくしかじか」を読んで思うこと。
ちょっと前の作品だが名作と思うので。

ギャップが心地いい作品

主人公であり著者の漫画家・東村アキコが、絵画教室の先生や仲間たちとのやりとりや漫画家になる過程を描いたコミックエッセイ。
紹介してくれた人に「泣けるよ」と言われていたので、期待していた。

全体として登場人物がギャグテイストで面白いし、そのギャグテイストとセンチメンタルのギャップが心地よい。
先生のキャラも立っていて、ぐんぐん読みたくなる作品だった。
私が美大受験していたことが、この漫画を楽しむ最高のベースになった。

魅力的なスパルタ教師

作品の中の絵の先生は、竹刀を振り回し、有無を言わさず描かせるとても厳しい人。

それからやはり、「描け」という一言に集約される、「絵を描くこと」の結論みたいなもの。
先生の描くこと・創作することに対するパッションが作品を通して描かれているところが好きだ。
絵を描く人の間で、「描けなくなった」というのはよく聞く話だが、絵は手が動く限り永遠に描けるはずのものである。とにかく手を動かすこと。

そこで思い出したのは、エドガー・ドガという踊り子の絵で有名な画家の話。
彼は、尊敬する絵画の巨匠に、「線を引きなさい、多くの線を」という言葉をかけられ、それを一生守ったという。

いい絵かよくない絵かは別問題で、とりあえず描かなければいい絵になるわけがない。描いて初めてわかるのだ。わからなくなったら、とにかく手を動かしてもがくこと。

そんな先生が突然「庭に石畳を敷いてその隙間にニオイスミレを植えて、モネの庭みたいにする」という乙女チックな夢を語った、ここでもギャップを感じる箇所が好きだ。
おかげで「モネの庭が自分で作れるのか」と、ガーデニングをしたくなった。

美大受験生の闇


時間内に描きあげ、順位をつけられる受験用のデッサンなんてクソ喰らえと思っていたけど、美術の世界にも体育会系の精神力が問われるのだ。
豆腐メンタルの私には、わかりやすく、そのぶん痛いところを突かれた漫画でもあった。
美大受験は、画力というか、精神力の試験のようにも思う。
なにしろ受験自体長時間に及ぶデッサンをこなさなければならない。ぶっ続けで集中力を保つこと自体、精神論が必要なのだ。


精神力

作中、主人公のアキコの彼氏が、アキコの先生と対面したあと、
「俺もあんな先生だったら5浪もしなくて済んだかもな」というセリフがあった。確かに、有無を言わさず「描け!」と言ってくれる先生が、羨ましくもあった。
しかし精神論を突きつける先生は、実際に対峙すると辛いものもあるだろう。

そんな先生も、主人公には最適な先生だったのだろう。
アキコは、絵画教室で忍耐と根性を養ったことで、漫画家としての重要条件をクリアできたのではないだろうか。
なにしろ漫画家って、アイデアを捻りに捻って、一ヶ月に何十何百とイラストを仕上げる連続であり、根性の職業である。

トライアルアンドエラー

会社、漫画、絵画教室の講師、と目一杯のわらじを履いたアキコが初めて漫画に真剣に取り組むことができたところが印象的だ。
絵を描いたって、それが売れるかどうかなんてわからないし、売れない場合の方がうんと多い。
それでも手探りで「絵を描く=もがく」ことで、自分を形作る何かに、描く人それぞれに出会うことができるのかもしれない、と思った。

以前こちらにも投稿した、三國万里子著『編めば編むほど私は私になっていった』という本でも同じようなことを思った。
この場合、「編むこと=もがくこと」だ。

一本一本線を引き、一目一目編むことに耐え抜き、何かを完成させた人にだけ与えられる達成感のご褒美。
もがくことで何かを得られる。

一生もがくのか

私だって何かを達成したことがないというわけではないんだ、と思いながらも、自分の精神力について考えてしまう作品だった。
きっと達成しても満足せず、より高いところへと目指すのが「本物」と言えるのかもしれない。

美大受験生はうまく友達ができなかったり、自分の絵を否定されたりして、病んでしまうケースも少なくないみたいだ。

自分を追い込むと必ずと言っていいほど病んでしまう私も、私なりの方法を見つけるしかないんだろう。
そう言いながら私は一生もがき続けるのかもしれない。
そうやってどっこい生きていくのが私の道なのかもと思い始めている。

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