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伝えることの妙味

「事の起こりかな?」

先日、次男が通っている狂言の教室で師範の動きを見ていた時に頭に浮かんだこと。次男は地元で期間限定の狂言教室に通っている。まだ始まったばかりでやっていることも基本中の基本だが、武芸に携わっている身としては狂言の身体操作の一つ一つが興味深い。そんな今回は伝承と伝えることの妙味について。

狂言

狂言は日本の伝統芸能の一つ。流派によっては700年近い歴史を持つセリフ劇。稽古を見学して感じたのはシンプルな動きに含まれる難しさ。短い動きで、舞台を動く型のように見えるのだが、足さばきや扇子の動き、何故か記憶に入らない。帰宅後にYouTubeを検索してみたら、「山本東次郎先生(人間国宝)に聞く狂言の心と技」(6分半)が刺さった。

狂言の様式美。誰にでもできるものを、誰にでもできないものにまでする。
立つこと一つ、誰にでもできないものにするのが様式。
自分を一度殺して様式ですること。
理屈を言ってはいけない。

師匠の言葉とほとんど変わらない。その流れで思い浮かんだのが冒頭の「事の起こり」。

事の起こり

武芸の世界では「事の起こり」を消すことを求められる。動作は動きとして存在するのだが、それを起こす意識、さらには心の動きさえも消すことである。人間とは面白いもので無意識レベルで相手の姿勢や動きに反応する。互いに様々なシグナルを発信しながら、それに対して適切な対処を無意識レベルで行う。武芸で言う所の「先の先」や「後の先」はこの辺りの読み合いである。

第一歩目が不要な動作をなくすこと。これは型を通して行うのだが、人は無意識に慣れ親しんだ姿勢や動きがあるから普通に基礎ができるようになるまで数年はかかる。以前、守破離の話をしたことがあるが、どこまでも精密性を上げていくことが課題。この辺りが狂言の人間国宝の言葉と合致するところ。さらにその先に動きの意図を消すというステップが待っている。そんなプロセスを武道的に説明している動画は「消える動き(ひと調子の動き)を学ぶ」(3分半)。ここで相手が反応できない動きをいかに行うか、達人同士の交流がある。

文化的豊かさ

子供の狂言の稽古を見ていて、師範の動きを何度も見ているにも関わらず、フッと動きの印象が残らないのは師範の動きが「事の起こり」を排したレベルにまで磨かれているからではないかと思った。まさに「誰にでもできるものを、誰にでもできないものにまでする立つこと一つ、誰にでもできないものにするのが様式」。

そしてこれは理屈ではない。だからこそ、普通に理屈で教わることに慣れ親しんでしまった人には難しい。狂言の師範の言葉で「子供は早く覚えますよ。大人は一年かかった方もいます」というのが印象的だった。私の武芸の師匠も「子供は見せたことを見せた通りにできるからできる。大人は勝手に解釈して行うからできない」と言う。

できたら簡単、でも誰もできない。勉強のテストの成績とか、ビジネス的にスケールするとか、一般社会の判断基準とは違う所に芸術の基盤はある。

年末年始にNHKの「明鏡止水」をまとめて見ながら、MCの岡田准一や他の人たちが達人の動きに触れては「これ、伝わるのかなー?」と盛んに言うのが印象的だった。

衣食住の充実はもちろん大切なのだけど、文化的な豊かさはこんな所にあるのではないだろうか。こんな世界の一端に触れた時に己の幸運を実感する。

また稽古しよう。

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