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キッチン

その日は低気圧が来ていた。
僕は気圧が原因で体調を崩すほどやわではないと思っていたが、いくつか条件が重なると弱いらしい。前夜寝付けずに中華統一を目指す王様のアニメをだらだら見ていたら朝が来ていて、仕方なしといった体で布団を被り、目が覚めたら頭頂部が割れていた。恐らく睡眠中に何者かにバールのようなもので頭部を強打されたのだろう。黒卑村もびっくりの治安だ。

しかしながら現代は春秋戦国時代とは違い、大抵の異常にはそれ相応の対処法が用意されている。鼻炎には金の、喉頭炎には銀の、俺には青のベンザが適用され、速やかに症状を緩和する。自宅にはもう手遅れになったパブロンしかなかったため、ドラッグストアに向かった。戸外はじっとりと重い空気を孕んで曇天が地表を睨みつけるようだったが、まるでやる気の感じられない弱雨に撫ぜられるうちに「この程度の低気圧にやられたのか?」と少し腹立たしく思えてきた。どうせならいっそ土砂降りの雨に冷却されながら、ああこれは仕方ない、こんな嵐なら体調も崩そうものよ、と自分を納得させたかったのだと思う。南のほうから遠雷が聞こえていたが、どうせ大して降らずに過ぎてゆくのだろうと思うとどこか安っぽいSEのように思えてくる。

ドラックストアに入ると入り口の自動ドアを鋭く曲がり一意専心北東へ向かう。頭痛で思考がぼんやりしていると何故か方角が明瞭に意識されるのだ。代わりに人間的に系統立てられた経路に従順でなくなるため、むやみにジグザグ曲がりながら整理された店内を突き進む。永い旅を終えるとやがて頭痛薬の棚に辿り着いた。棚には一面青のベンザと思われる種々の直方体が敷き詰められ、おおよそ1000-2000円程度の値札が実にランダムに振られていた。それぞれ手に取って観察すると、各々異なる成分を何mgだとか併せ持ったり併せ持たなかったりしているらしい。総じて青を基調としたパッケージであるのは何か意味があってのことなのだろうか。パッケージに添えられた宣伝句はいまやロレムイプサムのようで徒に目を滑らせるのみだ。しかしまあ多少名前が違っても本質的に「青のベンザ」の亜種であることに変わりはない。君たち青ベンザの兄弟の中には「半分はやさしさでできている」と揶揄されている者もいるが、それは誇るべき性能の表れだ。君たちは何で出来ていようが、或いは半分が虚無だとしても、相応の効能を発揮しうるポテンシャルを持っていると信じられてきた。私もそれを信じよう。

つまるところこんなものは適当に買えばいい、と半ばなげやりになりながら適当な箱を手に取ると、頭の片隅にある冷静な部分が俄かに人格を得て喋り出した。「いや待て、その青のベンザ-Ⅰはイブプロフェンのみを含有している。隣の青のベンザ-Ⅱはイブプロフェンとアセトアミノフェンをどちらも含有しているから、片方に耐性があっても効くのではないか?そもそもお前の家のどこかにはイブプロフェンを主体とした医薬品が眠っているはずだろう、それを探す胆力はないのか?」そいつは早口だった。頭痛薬に耐性ができるほど常用している自覚はなかったが、確かに効く・効かないは概ね主体となる有効成分に依存しているはずだった。先ほどまでの青ベンザ達への大きな信頼をどこかへ投げ捨てた俺は、無意味語で埋められたポップを全無視して成分表を見比べ、理性的に一つの直方体を選び出した。今はとにかく、この脳内で小煩く喚く輩を黙らせなくてはならない。

車に戻るとまた少し雨が強まっていた。買いたての白い丸薬をおよそ推奨されないであろう黄色い液体で飲み下し、一息つくとラジオが何事か喋っていた。この低気圧は明日には抜けて全国的に晴れます、でも一部地域では日中まで雨が続くかもしれません―。

その一部地域がどこかということまではラジオDJの与り知らぬことだったようで、重要な情報が巧妙に伏せられたままケミカルブラザーズの新曲が流れ始めた。今にして思えばその一部地域とはここのことだったのではないかと思われる。こんな時間になってもまだだらだらと降ったりやんだりの天気が続いている今、ババロアのような層積雲がとても明日中に晴れ上がるとは思えなかった。

帰宅して布団にもぐりこんで少し経つと、頭痛がすっかり和らいでいることに気が付いた。あまりに早い効き目に少し引く。それと同時に服用した黄色い液体も効いてきたようで、妙に活力が沸いてきた。今からでも仕事に取り組もうか、いやでも今日は流石にな、などと葛藤しているうちに、行き場を失った活力も次第に小火くらいに落ち着いてきて、床に落ちていた一冊の文庫本を拾うことでそれを消化してしまった。

拾ったのは「キッチン」という薄い文庫本だった。有名な本だ。吉本ばななという名前は概ねこの本と共に知ることになる。僕は彼女の著作を読んだことがなかったのだが、カレーを作る偽インド人の動画でこの本が薦められていたのを見て何となく気になって購入した。本を薦めるというのはなかなか複雑な事情を孕む。本というものは本そのものによって意識を向けられるのではなく、それを語る者によって注目を浴びる場合が多いためだ。私が最近手にした本の半分は人が感想を述べていた書籍であり、その書籍の内容以前にそれに言及した人間に関心が向いていた例が多かった。これは私にとって少しばつの悪い気持ちにさせる事実だった。それでいて、一度読み始めてしまえば誰が何と言ったかなど関係なくなるのが本の良いところでもある。

さて、僕は初め、この本の裏表紙を読んで、多分死についての話なのだろうと予想した。祖母が死んだ主人公が、「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」と述べるところから始まる本作は、恐らくキッチンという場所のもつ終末性をテーマにしている。キッチンは食事を作る場所であるとともに、生物の遺体を扱う場所でもある。死体を捌き、調味し、生命を繋ぐための食事に加工するキッチンという場所は、日常触れる場所の中で最も密接に生死と隣り合っている。主人公は祖母の死からキッチンという場所について気づきを得て、それからキッチンにて夜毎祖母に思いを馳せる―…的な話だろう、いや重たいな、しんどそうだな…と勝手に想像した中身でちょっと気持ち悪くなりながら手に取った文庫本を開いた。

内容は特に伏せるようなものではないのだが、上記で僕の妄想した「偽キッチン」は全くの大外しもいいところだったことだけはここで断言しておきたい。もっと満たされるような話だったので、夜寂しいひとは読むと良い。

ところでWikipediaによるとこの著者は少し医学的にもスピリチュアルな信仰があるらしく、多分頭痛薬とか飲まないんじゃないかな、と予想された。これも所詮僕の予想だからきっと外れなのだが、頭痛薬はすごいので是非飲んでほしい。中国4000年の歴史が生んだ漢方よりもまず、飲むべきは青のベンザだ。


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