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読書の面白さは、自分が「にじみ出る」ことにある。

先日、私は自分のことを「読書家もどき」と書きました。

私が読書習慣を始めたのはここ数年ぐらいの話で、
たとえば大学時代の読書数は「年間0冊」でした。

0冊です。
本を買うことはおろか、開くことさえ一度も無かった。

そのころの私は、読書という行為について、
調べれば分かることを、わざわざ効率の悪い手段で身に着けようとすること
だと考えていたのです。

だからいま、一過性に数年間、本を読んでいるだけの私が、偉そうに「読書家」を名乗れる立場にはないですし、言ったこともありません。

でも本を読むようになって、分かったことはあります。

それは、
読書とはそもそも、情報収集の手段ではない
ということ。

集めて収めるのではなく、むしろその逆で、
読書とは、自分が自分自身から “にじみ出る” ための手段だ
ということに気が付いたのです。

今回はこのあたりのお話を。
それではよろしくお願いします。



「アンタはもっとテレビを観なさい」


アンタはもっとテレビを観なさい

皆さんは、言われたことがありますか?
私は思春期のころ、母親から幾度となくこのような苦言を呈されていました。

私は根っからのパソコンっ子で、小学生のころからパソコンばっかりしていました。

対して両親はずーーーーっとテレビばっかり見ていて、私は子どもながらに「なんでそんなにテレビばっかり見るんだろう」と。

自分が知りたいことを直接調べた方が、有用だし効率が良いじゃないか。
誰かが用意した「役に立つのか立たないのか不明なもの」を何時間も見続ける意味が分からないよ。

そんなことを考えていました。
生意気な子どもです。



読書は「情報収集の手段」ではない


思春期を過ぎて大学生になっても、私は自分で到達したこの理論こそが真理であると疑わず、であるからして私にとって読書は「効率の悪い情報収集方法」でしかなかったのです。

しかし3年前、私はひょんなことから本を読み始めます。

それは子育ての不安を振り払うべく藁にも縋る思いだったのか、はたまた当時好きだったYouTuberに影響されたのかはあまり覚えていないのですが、とにかく「本を読んでみよう」と思ったのです。

すると。

あれ?
なんだこれ、面白いぞ…。

読んでいると「なるほど!」と「なぜ?」が交互に現れてくる。

苦節三十余年、そこでついに気が付きました。

読書は決して「情報収集の手段」ではなかったのだと。



自分自身が、にじみ出る。


読書が情報収集の手段ではないのなら、いったい何なのか。

それは収集すなわち「集めて収める」のとはむしろ真逆で、取っちらかること。

「収集」の対義語である、「散逸さんいつ」です。

欲しい情報が集まってくるのではなく、むしろ増えていく。
拡大して散っていく。

自分自身が、にじみ出る。

それこそが読書の醍醐味なのだと。


母親が言っていた「テレビを観なさい」の意味が、いまやっと、分かった気がしました。

「自分で調べたこと」や「自分向けにカスタマイズされたこと」の中でずっと過ごし続けていると、拡がっていかないのです。

自分が。


誰かの作った、自分には思い付きもしないアイデアや知識こそが、自分自身を新しい方向に拡散させてくれる唯一の手段なのです。



だから読書は面白い。


さて、この「情報散逸」の観点において、テレビよりも読書が優れている理由があります。

それは「入口を自分で決められる」こと。


川北稔さんの『砂糖の世界史』という本があります。

私が今までに読んだ本の中でTOP3に入るぐらいに、愛してやまない本です。
本棚の特等席を飾る、私に「情報散逸の楽しさ」を教えてくれた書籍。

読んだ当時、私は無性に世界史に興味があって。

朝、砂糖入りのコーヒーを飲みながら本書の存在を知り、何か運命的なものを感じて読み始めたのです。

で、めちゃくちゃ面白かった。

「砂糖の歴史」を知るだけでこんなに面白いのなら、それが「塩」でも「レゴ」でも「ガードレール」でも、何でも深く知れば楽しめるのではないか。

そんな自身の知的好奇心を底上げしてくれた本、それがこの『砂糖の世界史』でした。


読書の素敵なところは、このように自分の好きなことや興味関心からスタートできることにあります。


例えるなら、本のタイトルが書かれたドアがたくさん目の前にあって、自分が一番興味のあるドアをくぐれるんですよ。

その中には「自分の知りたかったこと “以外”」の情報が山ほど置いてある。

でもそれらは無駄な知識ではなくて、「自分の知りたかったことのすぐ隣にあるお宝」みたいな発見なのです。


だから読書は、面白い。


まとめ


今日は私の考える「読書の価値」について書いてみました。

「自分の興味関心」を中心にして、そこからにじみ出る。

そんな体験が「読書」には詰まっています。

ただ私は最近、知りたいことが散逸しすぎて、自分でも収拾のつかないことになってしまっていますが…

これからも「にじみ出る読書」を楽しんでいきたいと思います。


読書体験をもとに記事を書いています。
もう一つ、私の読書に関する記事を読んでみませんか?


それでは、また。

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