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「毛筆の授業は要らない」と思いますか?

ABEMAprimeに面白い放送回がありました。


内容を簡潔に述べると、
・ある国立小学校で不適切指導があった
・同校は学習指導要領を守らずに独自のプリントで授業を行った
・例えば毛筆を一切行わない、理科を学ぶ年次を変更するなどした

というもの。


ABEMAnews 2024年1月18日放送分より


今回は「毛筆の授業の是非」について、新渡戸稲造『武士道』を引用しつつ私見を述べてみます。


毛筆より生成AIを学ばせるべき?


今回の議論で象徴的な問題提起として、
毛筆より生成AIを学ばせるべきではないですか?
という言葉がありました。

「学習指導要領」に関する議論は大抵これで、
◯◯より✗✗を学ばせた方が良い
◯◯はもう学ぶ意味がない
というものでしょう。

生成AIというのはただの一例に過ぎず、
音楽やるより英会話のほうが大事」とか、
書き順なんてもう要らなくない?」とか、
いろいろありますね。

特に今は受験戦争が加熱化しすぎるあまり、「学校の授業は受ける必要がない」と考える親もいるくらいです。
実際、前の職場で働いていた教育ママさんは「学校の授業を休ませて家で塾の勉強をさせていたい」と言っていました。


義務教育は「キッカケづくり」


一方で今回ゲストとして登壇した、公立小学校の元校長である清水弘美さんは「毛筆で身を立てられる技能を持つ子どもが、毛筆に出会うキッカケになる」というメリットを挙げています。

ジャーナリストの佐々木俊尚さんもVoicyで、
「自分の経験から特定の教育に “意味がない” とレッテルを貼る」ことの危険性について述べています。


対して、今回悪魔の代弁者を務める平石直之アナウンサーは「それ部活動で十分じゃないですか?」と反論しました。


うーん、、、めっちゃ分かる!


「毛筆で身を立てる」というたった一握りの子どもを育てるために、そうでない全国の子どもたちの時間を使うことは正しいのか?

と思っちゃいますね。

功利主義丸出しです。


でも私は「毛筆って全ての子どもに良い影響があるんじゃないのかな」と思う派なんですよね。
つまりそもそも「毛筆なんて大多数にとって役に立たないんだから要らない!」の「大多数にとって役に立たない」を否定します。

この新たな派閥、味方が全然いなさそうです。

キッカケを与えてくれたのが新渡戸稲造の『武士道』という本です。


日本人だけが生み出せる絵画


『武士道』の一節を引用します。

能書良筆には特に重点が置かれたが、それはおそらく日本の文字が絵画的性質を備えるとともに芸術的価値を有しているからであり、また書体はその人の人となりを示していると信じられていたからである。

『武士道』第十章「武士の教育」より

膝を打ちました。
日本の文字って「絵画的性質」があるのか。

言語化されるまで気が付きませんでした。

漢字、ひらがな、カタカナ。
とめ、はね、はらい。

それらの組み合わせで出来上がった書道は、「日本人だけが生み出せる絵画」なんです。


毛筆をするとき、嫌でも集中しますよね。
キレイな作品を見たら、誰でも「すげぇ・・・」と感じますよね。

そうして培われた感性だったり、集中力だったり、美意識といった抽象的なものたちが、日本人を縁の下で助けているんじゃないのかな。
でもそれって目には見えないから、つい私たちは「毛筆なんて何の役にも立っていないじゃないか」と言いたくなるのではないか。


もちろん仮説ですよ。
でもやっぱり生成AIよりも、英会話よりも、「日本人だけの絵画」を私は大事にしたい。
それを全国津々浦々、まだ6歳やそこらの子どもたちが学習していること自体を誇りたい。

そう思います。


「一枚一分で描ける絵画」と考えると本当にすごい。


まとめ


今回は新渡戸稲造『武士道』を引用して、「日本語が絵画的性質を帯びる」という観点から、教育における毛筆の必要性を考えてみました。


中国では書道を行わない学校も増えているそうです。

日本には書道を大切に守り抜いてほしいなあ。



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それでは、また。

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