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彼岸まで

 川向こうに好きな娘がいた。
 色白で大きな瞳、澄んだ優しい声をしていた。
 
 流れてきた櫛を、釣竿で拾い上げたのが縁だった。
 本来なら寄せてはならない向こう岸へ舟を着け、娘に渡してやった。
 礼をしたいと言う娘に、なんのことはないと笑いかける。ほんのりと紅をさした頬がなんとも愛らしく、思わず口づけをしてしまった。
 何百年と歪みあってきた川向こうの村の者同士。決して許される恋ではなかった。

 娘が村長むらおさの次男に嫁ぐことになった。共に居たいと訴える娘を強く押しやって別れを告げた。溢れ落ちる涙を拭ってやることもせずに。

 その日は洗われたように青空が広がり、暖かい風がゆるやかに吹いていた。
「良い婚礼日和だ」
 川の中ほどまで漕ぎ出し、いつものように釣り糸は垂れず、一息に飛び込んだ。
 と、対岸から白い飛沫が上がる。
 純白の花嫁衣装がゆらゆらと揺れ、まるで美しい魚のようだった。
 
 私は娘の手を取った。

 このまま、彼岸まで。

 私たちは一対の魚となって、光の見えない向こう岸へと泳ぎ出した。

 2024/09/19

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