【無気力な私の大学受験との向き合い方】1
こんにちは
受験の合否、進路の不確定、色々デリケートな時期ではありますが、
次の受験を控えた方に向けてこんな記事を連載していこうと思います。
受験に対してやる気に満ち溢れた方には少し向かないかもです。
ご了承ください。
何かが壊れだした瞬間
最初に私の境遇について説明します。
中学生のときの私は超優等生で、3年間の猛勉強の結果、
超進学校に入学しました。
そこで感じたこと、、、授業がわからない
学校の授業が難しいと感じたことはこれまでなかったので、困惑しました。
そしてもう1つ、、、周りは余裕でついて行っている。。。
わかっているんです。
これまでも地頭がいいわけでもなく、教養があったわけでもなく、
全部自分の机の上での努力でなんとかしてきた。
でも周りには、帰国子女・両親T大・親が医者・鉄〇会生……
生まれた頃からエリートで性格も真面目、努力も欠かさない友達ばかり
特に英語の授業では圧倒的な差を感じました。
ペアワークがほとんどで、日本語でも答えるのが難しい話題について
2人で話し合わなくてはならないのが苦痛でなりませんでした。
ペアの方も私の英語のひどさに失望したのか、私が話している間はスマホを見たり、適当に相槌をうったり、ひどい人はペアワークのときは顔を伏せて寝てしまいました。
学校の授業がつらくなってきたころ、また別の問題が発生します。
妹が不登校に
私の妹が不登校になった主な原因は私です。
3歳下の妹は私の通っていた地元の中学校に通っていました。
その小さな中学校は学年1位だった私を学校ぐるみで贔屓していました。
だから、私の妹にはとんでもない期待がかかっていました。
その期待に応えるように妹は学級委員になり、塾に通い、部活にいそしみ…
そしてプレッシャーに加えて、妹はいじめられていました。
もともと妹は男子に好かれやすく、女の子たちから嫉妬の的になりやすかったのです。
色んなことが積み重なり、学校に行けなくなってしまいました。
少し毒親気味だった母親も、いじめられていたことを知って泣きながら学校に行かないという選択を認めてくれました。
妹のリストカット
妹が不登校になって少し経った頃、妹の腕に絆創膏が目立つようになります
その当時、私にはリスカという行動の存在を知らず、絆創膏を見ても
「大丈夫?」と言って絆創膏のところにキスするくらいでした。
私は火傷だと言う妹のごまかしを馬鹿正直に信じてしまいます。
リスカだと分かったとき、私はショックで気絶してしまいました。
妹が自分で自分を傷つけていることが信じられず、また、妹がどんな気持ちでリスカしていたのか考えたくなくてその日は一家全員で大泣きしました。
私は妹のリスカに気づけなかった、しかも、妹は自分と同じ部屋で、私が横で勉強しているときにも手を切っていた。
物理的にも精神的にも何もしてあげられなかった
妹のヘルプに気づけなかった
プレッシャーで妹を苦しめた次は妹を助けることもできず、、、
この一件から私は何よりも妹を大事にしようと決意します。
母もそれまでは勉強しなさい、というスタンスをとっていましたが、
それが負担だったと告白されて、それからは妹の学力面について一切干渉
しなくなりました。
精神科では鬱と診断され、そこからは家族で妹ファーストの生活を心がけました。
気を遣われるのもストレスになってしまったのかもしれませんが、
妹の鬱は2年ほど続きました。
(チャレンジスクール受験合格後、無事に寛解しました。)
鬱の間、妹は2時間ほどステップアップ教室に通い、アニメ・漫画・ゲーム・ネッ友と通話、などなどその頃の私からみたら結構羨ましい生活をしていました。
そんな妹のもとで、私のド真面目な性格は180°変わっていきます。
妹の話が中心になってしまいましたが、次から直接的に大学受験に関わるお話を書いていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。
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