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お豆富と失敗と工夫について。

先日のブログでは、
大学生のころのぼくは、勉強もせず、
だらだら過ごしていたようなダメ学生だった、
というのを書いたけれど。
とは言ってみても、当時4年間の大学生活の中で、
まったく何も学んでいなかったか、というのは、
そうではなかった。って思っている。

たとえば、
建築学科だったぼくは、1年生のころかな、
「建築構造」の授業のときに、
先生のおっしゃっていた
「人間は、豆富のようにやわらかい。」
ということばがつよく印象に残っていて。
つまりは、建築を設計する際には、
お豆富のごとくやわらかい人間が建築を使用するのだから、
そのことを考えなさい。という教えだと存じますが。
もちろん物理的には、建築と人間とを比べたら
人間は圧倒的にやわらかくてもろいけど、
もっと、もっと、あらゆる場合において、
肉体的にも、精神的にも、
人間はもろくて、よわくて、でも、
やわらかさやしなやかさも兼ね備えている。
みたいなふうな解釈もできるなあ、と思っている。

そしてまた、おなじく1年生のときの、
「建築計画」の授業では、
「街を歩いている人を調査する」
という課題がありまして。でも、ぼくは、
その課題をうまく取り組むことができなくて、
単位を落としてしまった。そして、
翌年、あらためて授業を受け直して、
またおなじ課題のときには、
前年の失敗を踏まえながら作成と提出をすると、
レポートを発表する何人かに選んでくださった。
それが、なんだか、うれしかったのよね。
今振り返れば、失敗しても、
その失敗を踏まえればよい、
みたいなことを思ったんだった。

時が経ち、4年生になって、
ぼくは設計や計画のほうへはすすまず、
構造の先生の研究室に入りまして、そして、
卒業研究の実験を行うようになるのですが。
この実験のときには、
どのようにすれば実験がスムーズに進むか、
という、先生のアイデアがすごかった。
詳しくは記さないのですが、
身の回りにあるものを工夫しながら、
実験を進めてゆく先生の姿がかっこよかったなあ。
そういうような「工夫」というのが、
できるものならばじぶんもできるようになれたら。
というのは、今でもなお思っているのよね。

約20年前の大学生のころのことを、
なんだか、思い出してみた。

令和4年2月17日


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