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24日の夜に思う、「旅」のこと。

現在48歳。
たくさん旅をしていたのは10代後半から20代後半あたりなので。
たとえば、生まれてくるのが20年とか30年遅かったら。同じように旅に惹かれる自分がいたとしたら。
ここ最近、ふとしたときに思うことがある。ぼくが経験してきた旅とは、まったく違う旅をしていたんだろうな、と。

スマートフォンの存在、である。

スマホを持ちながらの旅なのか、そんなモノがない時代の旅なのかーー
ぼくが経験してきた旅は、もちろん後者の時代。

海外は、アジア、アフリカ、北・中・南米を中心に、これまで45カ国を旅してきた。できるだけフライトは使わず。可能な限り陸路の移動で。自分の足で国境を越えながら。線を結ぶ旅を好んできた。

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国内も、海外以上にこだわって、たくさん旅をした。
中学生のときに自転車での旅を始め、信州や四国、北海道をまわった。
(高校はアメリカに居たので、、その話はこちらで)
大学に入ってからは、トータル4カ月かけて、宗谷岬と佐多岬を結ぶように、徒歩とヒッチハイクだけで日本縦断。50ccのスクーターで、納沙布岬と神崎鼻を結ぶように、2カ月かけて日本一周もした。日本の全都道府県に自力で足跡を残した。

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国内を旅するにあたり、持参したのは、地図。Googleマップではなく、書店で売っている、20万分の1とかの縮尺地図。
海外は、「地球の歩き方」、いわゆるガイドブック。ただ、ぼくがメインで旅した中南米やアフリカの「地球の歩き方」は、その頃だと圧倒的に情報量が少なく、内容も実際のページ数も薄っぺらいモノ。首都以外の地方都市や町の情報は皆無に等しく、掲載されているMAPも間違いだらけ。そのため、欧米人のバックパッカーがよく使っていた、南米は「HANDBOOK」、アフリカは「lonely planet」を現地で購入、英語のガイドブックを駆使しながら旅をした。

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「HANDBOOK」や「lonely planet」は、「地球の歩き方」に比べたら、たしかに優秀だった。とはいえ、所詮ガイドブック。情報量は限られている。
陸路での旅は、ガイドブックに掲載されていない小さな町や村も通る。治安が良くない都市部などで大きなバックパックを背負ってガイドブックを見ながら歩きまわるのは「ぼく旅行者です。お金持ってます」とアピールしているようなもので、ちょっとした自殺行為である。

だから、旅する状況が困難であればあるほど、頼れるものは、自分しかいない。経験から培われた自分の「勘」がすべて。あとは、現地の人との交流から得られる情報。たとえば、その場所から宿までの道順など、通りすがりの現地の人に話かけて教えてもらう。あるいは、現地で出会った、自分と同じようなスタイルの旅行者から聞く体験談。基本的に、それしかないのだ。それだけを頼りに、未知の国や文化圏を進んで行くしかない。結果的に、そのような経験をしてきていない人よりかは、ぼく自身、状況判断能力が相当鍛えられたように思う。

もし、このような旅に、スマートフォンがあったならーー

ガイドブックのような、重い本を持ち歩かなくても。オススメの宿、評判の良い食堂、バスターミナルの場所、移動時間の算出、レートの良い両替所の場所、VISAを取得するための大使館や領事館の住所、見るべき観光スポット、その国で起きているニュース、これから向かう周辺国の情報、危険なエリア … 等々、すべての情報が瞬時に得られる。勘に頼ることなく。人に聞く必要もなく。道に迷うことなく、目的地へたどり着けるのだ。

想像をはるかに超える、旅のスタイルの違いだと思う。

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写真も、そう。
写真が好きなぼくは、重い一眼レフを持って、ポジフィルムを何十本も持って旅をした。撮影済みのフィルムは郵便事情が比較的しっかりしている国の首都に着くまで常に持ち歩いていた。陸路で国境を越えるときなど、国によって荷物検査のX線機器が非常に強いところがあると聞き、フィルムは絶対に通したくない。そのため、イミグレーションの人に「これは旅の記録を撮ったとても大事なフィルムなのでX線には通したくない。目視でチェックしてもらえないか」という交渉を毎度のように行なった。なんの根拠もなく「このX線は大丈夫だから」と言われ、最後までぼくの意向は理解してもらえず、なくなくお金で解決せざるを得ない国境もいくつかあった。そんな苦労を経て、大切に梱包し、この国の郵便事情なら大丈夫だろうと思って日本の自宅へ送ったものの、結局日本に着かずにどこかで紛失されてしまったフィルムも、残念ながら存在する。

まだまだフィルムが主流の、デジタルカメラが一般的に浸透していない時代の旅。あの頃を思い出すと、物理的な荷物の重さもさることながら、「写真を撮る」という行為だけをとっても、あまりの時代の変容ぶりに驚きを隠せない。いまのスマートフォンのカメラ機能なら、わざわざデジカメを持つ必要もないかもしれない。

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スマホを持ちながらの旅なのか、そんなモノがない時代の旅なのかーー

後者の時代に生まれ、旅に惹かれ、スマホが存在しない中で国内外を旅することができて、心から良かったと思う。

「旅」の良さを言葉で表すのは難しいけれど。
日常とは異なる環境の中で。自分にとっての絶対的な事実が積み重なっていく行為ーーそれが「旅」の本質で魅力だと思っている。

自分の目で見て、肌で感じて、口にして … 実際に五感を通じて得られる非日常の中での経験は、何事にも変えがたい、自分だけの、絶対的な事実である。その事実は、他人にとっては違うかもしれない。でも、その自分だけの事実の積み重ねこそが、なんだか大げさだけれど、ぼくは「人生」だと思っている。

だからこそ、ここ最近、ふとしたときに思う。
スマートフォンがない時代に、大好きな「旅」を、心ゆくまで経験することができて、本当に良かった、と。

インターネットから得られる情報は、結果として、正しいかもしれない。けれど、それらはすべて、ブラウザ越しに見た、誰かの情報に過ぎない。自分が実体験したコトやモノではない。ブラウザ越しから得られるのは、自分が思う絶対的な事実ではないかもしれないのだ。

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でもね、同時に、ここ最近、思うようになってきた。
今度はスマートフォンを持ちながら。またあの頃のような旅を、もう一度やってみたいな、と。

地図やガイドブック、カメラを持たずに。スマートフォンだけを頼りに。
どんな旅になるのだろうか。
それでも、きっと新しい発見=自分だけの事実を、新たに積み重ねられるはずだから。

コロナ禍になって。仕事は在宅(テレワーク)が基本となって。いろいろ今後の人生を考えるようになって。

世界には約200カ国存在することを考えれば、45カ国なんて、まだまだ。

「冒険家になりたい」なんて、もう(?)言わないけれど。
でも、あのときの気持ちが、少しずつ呼び起こされてきているのは、たしかなこと。

さて、来年は具体的に考え始めようか、、。

なんてことを綴りながら、
24日の夜を過ごしています。

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