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深夜の依存的接触を告白します

依存症克服のために書籍を読み始めて、そしてnoteを書き始めて、明らかに自分にとっていい変化が続いています。朝起きてすぐにスマホを触らない。手持ち無沙汰になってもスマホ以外の選択肢を考えることができる。日常生活において、スマホ以外に目を向ける解像度が上がってきた気がする。確実に「良くなってきている!」自負があって、だからこそ、昨日の夜は油断してしまいました。

子どもを寝かしつけて一通りの家事を終えた後に訪れる、夜の自由時間。今まではほとんどスマホに没頭する時間として浪費していました。気づけば手にとって、眠気に襲われるまで何とはなしに指先を動かし続ける。だけど昨夜は、日中の達成感もあってか、なぜかスマホを触りたい衝動が起きなかったのです。衝動が起きなくて、だからこそ夜遅くまでスマホを触ってしまいました。……いったい何が起こったのでしょうか。

「貴重な自由時間を手に入れたのに、スマホで何かしようとは思わない!!?」

昨夜の私はやる気と喜びに満ちていました。スマホに囚われない自由時間。さて、何をしよう?

久しぶりに、昔お気に入りだった音楽を聴いてみました。とても懐かしくって、いろいろな思い出が脳裏に浮かびます。あの時のこと。あれからのこと。だんだんと内なる声が満ちてきたので、これまた久しぶりに、日記をつけることにしました。ちょうど先日、雰囲気の良いノートを購入していたのです。

自らの内面を文章化することは連日のnote投稿ですっかり慣れていたので、ノートのページは面白いほどすらすらと埋まっていきました。ペンを握って紙に書くのって、手が疲れて文字が歪むし漢字が思い出せずに止まることもあるけれど、楽しい! 適度な疲労感が心地よい。たくさんの懐かしい自分の文字が並んだページを眺めたのち、満たされた気持ちでノートを閉じました。これからはスマホの代わりに日記を習慣化するのもよさそう。

長らくつけていなかった日記には積もる話が多くあって、気づけばいつもの就寝時間を軽く過ぎていました。やや睡眠時間を削ってしまったけれど、それに見合う達成感を得ることができた。今日はとってもいい気分で眠れそう。もうこんな時間か、最後にスマホを触って数時間、平気でいられたなんてすごいことだな。数時間もスマホを触っていなかったんだ。……

一日を終わらせる安堵感に包まれて、「ふと」思いを馳せたのが命取りでした。

数時間も触っていなかったのなら、何か情報が更新されているかもしれない。新着情報の有無を確認して寝るくらいならいいかな。

どれ、とロック解除したのが運の尽き。「いつものルート」でスマホチェックを始めると、大きめの更新情報(=読むのに時間がかかる記事やコラム)が目に入ってきて、気づけばあっという間に深夜の時間を浪費していたのでした。本来寝ているはずの時間から1時間、2時間と遠ざかって、ついには3時間近く!

本にも書かれていましたが、依存症の克服って本当に、油断大敵ですね……

そうして今日は、見事に寝不足です。朝起きるのもしんどくて、常に眠気がついて回って。何より夜更かしの悪影響を実感したのは、noteの投稿画面と向き合っているときでした。昨日までは内容のアイデアが溢れて止まらないほどだったのに、今日はちっとも頭が働かない。なんとなく文字を打ってみても続かない。圧倒的なパフォーマンスの低下です。夜更かしなんてするもんじゃない。

実はこの「依存症の悪影響を実感する」というのも、noteを書き始めたこそ得られた感覚です。そしてやはり「良くなってきている!」という希望をもたらしてくれています。以前なら、たとえ多少眠かろうがだらだらスマホを触ることで日中をやり過ごせていたから。スマホを触ることってそもそも受動的な行為なので頭を働かせる必要がないし、困ることといえば目にした文章が頭に入ってこない、SNSで気の利いた返信ができないくらい。「今日は眠い」で終わる話で、そこには悔しさも問題意識もない。

だからある意味、依存的行為で夜更かしして翌日に悪影響を被る実感を得られたことは、依存症を克服するうえで「前進」している現れなのかもしれません。

とはいえ本当の「前進」は、スマホの依存的接触を寝る前にすることなく、しっかりたっぷり睡眠を取れることなんですけどね…… 十分な睡眠ののちnoteをスムーズに書ける嬉しさや達成感(と、睡眠不足だとちっとも筆が進まない悔しさ)を胸に刻んで、今夜こそは幸せな気持ちに包まれて床に就きたいところです。

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