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家族というもの。

大好きなんだけどな、家族のこと。
でも距離感を間違えると途端に苦しくもなる。
他人との程よい距離感を作るのは割と得意な方だし、面倒くさい揉め事なんかに巻き込まれることは今までそんなになかった。

けれどそのスキルが家族に対して活かせるかというとそうでもない。家族だとなぜだか、好きとか嫌いとか合うとか合わないとかの次元の話しではなくなってくるのだ。

神や仏に手を合わせるとき、いちばんに家族の健康と幸せを祈る。
多くのことは望まないから、せめてそれだけは。という感じで。
そういう自分が嫌いじゃないし、これからもそう生きていくと思う。
ただ、支えとなるその支柱が巨大すぎて、生きていくことと密接になりすぎていて、それ故に必要以上の苦しみを背負うどこかの誰かのことを、考えることがある。

以前読んだ本の中で、この世がもし「父族」「母族」「子族」のようなコミュニティで構成されているとしたら…?というような問いかけがあって、それを見てなんだか不気味に感じたと同時に、私は家族というものをどうやっても捨てきれないという遺伝子レベルで組み込まれたこの感情もまた不気味だと思った。

そんなことを考えたのも、近頃のセンセーショナルな事件であったり、家族をテーマにした作品に多く触れたせいだろう。

宇佐見りん著の『くるまの娘』という本にも影響を受けたので、感想を書いていく。

✳︎

『推し、燃ゆ』を読んだことがきっかけで、この著者のファンになった。

デビュー作である『かか』も読んで、これデビュー作かよ嘘だろと言いたくなるほどの文章力に魅了された。どれも決して明るいストーリーではないけれど、ずるずると引き込まれる世界観の紡ぎ方は毎度圧倒的だった。

『かか』では、主人公である19歳の女の子うーちゃんとその母親との関係性が描かれる。
その関係性を、うーちゃんは自ら「信仰」と名付けている。

母が苦しいと自分も苦しい。母が痛いと自分も痛い。一心同体と化した母との関係性を、うーちゃんが深く冷静に見つめているのが印象的だった。

いっそのこと盲目的な信仰であれば楽だったろうと察する。でもうーちゃんはどこまでも静かな眼差しで、祖母から母へそして母から自分へと連鎖される苦しみを見つめている。

唯一絶対のかみさまを持たん人々は、それぞれ祈りの対象を人間に求めます。

かか/P.91

母が子に与える無償の愛というものは当たり前のように語られるけれど、これは子が母親に向ける愛の苦しみを余す事なく書き出した稀有な作品かもしれない。
同じ年代の著者が書いたというのもリアリティに拍車をかける。

✳︎

『くるまの娘』については一か月ほど前に読了していたけれど、何だか自分の言葉がまとまらなくて感想文が書けなかった。
『かか』と同様、これも家族がテーマになっている。

どこまでも苦しいし、きっとハッピーエンドでは終わらないんだろうなと察してしまうけれど、どこかに希望が落ちてやしないかとすみずみまで文章を味わいながら、この家族を見届けたいという気持ちになった。

『くるまの娘』では、母だけでなく父や兄弟との関係性にも踏み込んだ物語になっている。とくに父と娘の関係性の描写は、『かか』とは違った苦しさがあった。

家族同士で傷つけあって泥沼にハマっていくさまがとてもリアルだった。みんながそれぞれの正義を無意識に振りかざしていて、家族にはこういう側面もたしかにあると思った。

審判もお天道様も見ていない家という場所を一番先に出たのが兄だった。

くるまの娘/P.79

心と体を痛めつけられる様な状態であっても、私だけを救うんじゃなくて家族全員をまるっと救ってくれと願う主人公(かんこ)の思いが、読んでいていちばん辛くて共感したところだった。

もつれ合いながら脱しようともがくさまを「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが、数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった。

くるまの娘/P.124

✳︎

いわゆる文学というものは、結末を一つの方向に決定づけることは少ない。
読後感に重きを置いていないので、最後の文章を読み終えたとき、明日この人物はどうなっているだろうという心配が襲ってくる。

しばらくは胸のざわざわしたものがおさまらず、自分でもいま何を感じているのかが不明瞭な状態でボーっとする。

でもそれは読者という伴走者の立場として、今後の精神世界を豊かに彩る前兆のようなものであると思う。そんな体験を呼び起こす作品が、傑作と呼ばれるのだろう。

『くるまの娘』の登場人物は、一見複雑で特異な家族関係に見えるけれど、私はこの家族が特別とは思えなかった。どこにでも居るような気さえした。

家族起因で身動きがとれず、誰にも助けを求められない人が、この世にどれだけいるだろう。
第三者に説明することを諦めて、言葉や思いが発露されることなく全身を覆いつくしてしまった人が、いまもどこかで暮らしているかもしれない。当たり前のように周りに溶け込みながら、生活を営んでいるかもしれない。

家族の痛みというものは、分け合うのが難しい。
家族の痛みは同じように自分も痛い。
そんな孤独を抱えている人に、読んで欲しい。

この本を憐みの心で傍観してしまうと、この家族はより孤立を深める。
読んだときの気持ちを、私は覚えておきたい。

いかに訴えるか。
今ある現実を切実なものとして表舞台へと晒していく作業は、作家と呼ばれる人たちの力が必要不可欠だと、私は思う。
こういう実感に出会えたとき、日の目を見ないどこかの誰かの思いが一瞬でも救われたような気がしてホッとする。

私はこの著者のものを見つめる解像度と、異素材の組み合わせで表現される文章のセンスに、たまらない気持ちになる。
うわぁ。どう生きてたら、こんな表現が出てくるんだ…って。

意味をもたらしそうな生き物があくまで淡々と描かれていたり、一方で本来無機質であるモノが呼吸をしているかのように描かれていたり。
普段自分の見ているもの感じているものが、どれだけシンプルで都合の良い世界観で構成されたものなのかということを思い知らされる。

✳︎

書きたかったのは、無数にある家族の在り方が自分なりに少しアップデートされたということ。
自分にとっての家族を考えたこと。

でもそれ以上に書きたかったのは、作品が素晴らしかったということ。
結局、いちばん言いたかったのはこれ。

作家は、いのちと魂を削って書いている。
それが肌に染みた作品だった。



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