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おうち最適化計画。

近頃いろいろと断捨離している。

最近とくに片付けに関しての書籍や動画を目にすることが多く、それらに見事触発された。私は虫が苦手なので出来るだけキレイな部屋を日ごろから心がけてはいたけれど、それにしても必要のないものが多すぎる。

ブランド物で何となく捨てきれなかった財布やバッグ、生活に役立つ便利グッズや掃除道具。なくても過ごせるけどあったら便利、という甘い考えから物の量がどんどんと膨らんでいく。
本来、生活や心を豊かにするために買ったものたちなのに、適切な役目を与えられていないことに罪悪感が芽生えた。

いろいろと片付けていくなかで特に手放して良かったものはラグとドレープカーテン。
ラグは座り心地はいいけれど、あるとどうしても掃除のハードルが上がってしまう。そして空間を区切る効果もあるから、その境界線が無くなったことで心なしかフットワークが軽くなった。そしてやっぱり広く感じる。

ドレープカーテンは夏閉めることが少なかったので思い切って取っ払ってみたら、思いのほか部屋が明るくなった。窓の両側に布の束がないだけでこんなり部屋がスッキリするんだなと少し感動した。

けれどこの2つ、夏は良くても冬はさすがに必要になってくるのでは。。。と悩んでいる。
このスッキリした感じを維持したいんだけどなぁ。

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ミニマリスト思考はメリットだらけと言うのを良く目にするけれど、果たしてそれが自分に合っているのかどうかは正直分からない。

ここ数年は「こだわらないことにこだわる」みたいな気持ちで過ごしてきたから、ミニマリストとは真逆の考え方だったかもしれない。
でも本当の理想は「こだわらないことにもこだわらない」という芯とふにゃふにゃな柔軟性を持ち合わせた人間でありたい。

「こだわり」はアイデンティティを語る上ですごく重要視されるから、持っていた方が他者からは理解されやすいのだろうけど。

思考も空間もスッキリさせたいけれど、複雑さも受け入れられる自分でありたい。

部屋にノイズがなくなるとクリエイティブな発想が生まれにくいというのを何かの記事で見たけど本当だろうか。
スッキリした空間には余白が生まれるし心の余裕もできそうだけど、、人間はそんなに単純なものではないらしい。

クリエイティブといえば、自分が何かを思いつくときって、無心で何かしらの作業をしたり足を動かしている時が多い。
夕食後の食器洗いやお風呂上がりに髪を乾かしているとき。外を散歩しているとき。
何かを生み出そうとして身構えると大抵出てこない。

テクノロジーに頼れば時間は生み出せるだろうけど、生み出した時間を活用できるかどうかはもちろん自分次第。ただ楽したいという安易な考えでは先行き不安だ。

何かの作業をするとき、それが無駄か無駄でないかというジャッジをしてしまうことが私はたまにある。
その作業の目的の裏で、実は心の安定が保たれていたり、堂々巡りの思考から脱する機会として最適であったりすることを忘れてしまうのだ。
たまには思考停止もありなのでは。

今の私が目指したいおうちは、風が通る空間。
全ての空間に風が行き渡るような余白を作りたい。クローゼットの中の洋服も、食器棚にある食器たちも全員スタメンになってもらう。

でもスッキリ過ぎる空間も落ち着かないから、小物を飾ったり、季節に合わせてファブリックを変えたりしながら楽しめるといいな。

ノイズを排除し過ぎず、雑多な本棚やそれらを整える時間も、自分にとって大切な暮らしの一部に出来ると良い。

複雑で多様で難解な物事を、シンプルに捉えること。
逆にごちゃごちゃの思考のままで向き合うこと。

どちらかだけを選ばなくていい環境にはしたい。


ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。