Daisuke ITO

中国語を居場所としつつ言語に関する諸々について考え、教えることを生業としています。 言…

Daisuke ITO

中国語を居場所としつつ言語に関する諸々について考え、教えることを生業としています。 言語学 中国語 韓国語 タイ語 旅 バイク プロ野球 酒

最近の記事

北京にて(2)

 今は昔、2006年秋から2007年にかけて、北京で夫婦2人が住むマンションの1部屋を間借りして住んでいたときの話。そこのおばちゃんは、餃子を作るたびに「食べる?」と呼んでくれる。中国では小麦粉をこねて皮から作るのが普通。  あるとき、「これはぜひマスターして日本で自慢したい」という下心から「餃子の作り方を教えてください」と言った。すると、具体的に何と言われたかは覚えていないけれど、確か「作り方なんかない、好きなようにやればいい」というようなことを言われた。それを聞いた瞬間「

    • 北京にて(1)

      「寮費とデポジットを払います。まずはデポジットから」 「現金でください」 「寮費を微信(WeChat)で払うつもりで準備してきたんですけど、デポジットは現金じゃなきゃダメですか?」 「ダメです」 「じゃあ、どうせ現金を用意するなら寮費も現金じゃダメですか?」 「寮費は現金不可です」 ****** 「支払いは微信で」 「OK」 「あれ、QRが出ない」 「回線に繋がってないのでは」 「そうだ、Wi-Fiで十分だと思って携帯にSIMカードは入れてないんだった。ここのWi-Fiで

      • 「言語交換」は甘くない

         身も蓋もない話。たとえば、「日本人」である私が〇〇語の運用能力を磨きたいとする。その場合、「日本や日本語に興味関心のある〇〇人」と付き合うのは、実はあまり得策ではないような気がしている(多少は経験に基づいた感想)。そういう〇〇人は総じて日本に甘く、日本人に甘く、したがって私にも甘いと思う。もちろんそれも〇〇人の多様な側面のひとつには違いないのだが、一方それによって日本に興味のない多数の〇〇人の存在を忘れることになると、いろいろな認識を歪める結果に陥るのではないか。  「日本

        • 「語学」をやめたい

           「語学」という日本語は、大きく分けて次の2つの意味で使われている。  ① 母語以外の言語を操る技能、またはそのトレーニング  ② 各言語ないし言語一般を対象とする研究分野(〇〇語学、言語学)  この2つは、一方ができるからといって他方もできるというものではない。①が得意だからといって②ができるとは限らないし、②をやる人すべてが例外なく①に堪能とも言い切れない。このように、①と②とは、明確に区別されるべきものである。ところが、実際にはその区別を、あろうことか「語学」を専門

        北京にて(2)

          たとえばこれを見てもまだ医者の言うことを真面目に聞こうと思う?

          たとえばこれを見てもまだ医者の言うことを真面目に聞こうと思う?

          2種類の「理解」

           日本語の「理解する」という動詞ついて言えば、その使われ方を観察すると、大きく分けて少なくとも2つの異なる意味で使われていることに気づく。  ①(人や物事に対して)そこに至る因果の筋道を説明できる  ②(人に対して)その立場に共感し、時にそれに配慮した行動をとる  以下、①と②の意味の「理解」をそれぞれ「理解1」「理解2」とする。「エンジンの構造を理解する」とか「市場経済の仕組みが理解できない」という場合の「理解」が前者で、「上司はうちの家庭の事情に理解がある」とか「将来

          2種類の「理解」

          情けは誰のため?

           「情けは人のためならず」というのは「人に情けをかけたらいつかそれが自分に返ってくる、つまりは巡り巡って自分のためなのだ」という意味だ、と親からか学校の先生からか忘れたが教わった。その解釈は妥当だろうか。敢えて疑ってみたい。  対案としては2通りの解釈が可能だ。1つ目は、もっと身も蓋もない話で、「不遇な人が視野に入ると自分の居心地が悪いので、それを解消するために情けをかけざるを得ない」という意味に捉えること。おいしい料理をまさに食べようとしていたら、食べられなくて指をくわえた

          情けは誰のため?

          言葉の暴力性

           人間が何かを利用する(=道具として使う)のは、人間の能力に限界があるからだ。たとえば、人間がナイフを使うのは、肉の塊を丸呑みにする能力が人間に具わっていないからだ。人間が言葉を使うのもおそらく同様だろう。世界を丸呑みにすることはできないから、あたかもナイフで肉の塊を切り分けて口に運ぶのと同じように、言葉で世界を切り分けて自分に取り込むのだ。  言葉は世界を「切る」もの、刃物だ。「51対49」と「49対51」とを一刀両断し、前者に「勝ち」、後者に「負け」というラベルを容赦なく

          言葉の暴力性

          友達がいない男

           友達ってなんだろう? とりあえず考え出した定義は、  ① 当日いきなりでも「飲もう」とこちらから誘える  ② それで断られても別に気まずくはならない の両方を同時に満たせる相手(だけ)が「友達」だ、というもの。両方同時に満たせない相手は、申し訳ないけど友達以外の何かだということになる。  ところが、これを大学生諸君に言ってみたところ、総じて「厳しすぎる」「ハードル高すぎる」といった反応だった。彼ら彼女らは、友達というものをもう少し広い、もう少し緩いものとして捉えているよ

          友達がいない男

          雑談

           しばらく前、授業中に授業と関係ない雑談をするな、という指摘を学生さんから受けた。しかし、自分の専門、仕事、趣味、居場所、推しetc. といった興味の対象はXだからそれ以外に興味なし、という思考回路は感心しない。「X」が「非X」との対立においてのみ存在し得るというのは言語学の「基本のき」。あるものの価値というのは、それ自身が積極的に存在し自己主張するようなものではなく、自身のあり方を自身では決定することができない実に消極的なものなのであり、何かが意味や価値を「持つ」という言い