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中和(2)

「ガラスがどうやったら切れるのか、ガラスはなにで割ることができるのか。殴るみたいに故意に破損させるのではなく、しずかに、たとえばレーザーカットみたいに割っていくならどんな音を立てて割れるのか。どのくらいの時間で、どのくらいの面積を」
「ちょっと、ちょっと待ってください」
 うっとりして、たたみかける留惟るいに、広史ひろしは口をはさむ。
 留惟は意に介さず、
「ガラスっていっても強度にはいろいろあるし、日立くんが知りたかったのは、この高校の、特にこの理科室の、このガラスの強度やもろもろのことで、実験はこれが初めてで――」
「あの! 留惟先輩」
「なに」
「留惟先輩、そんなじゃないですから!」
「おや、後輩、じゃあどんななの?」
 広史は、はっとする。
「ガラスの棚の向こうの」留惟の声が低くなる。目が鋭くなる。「なにをどうしようとしていたの」
「……」
 広史は留惟から視線をそらし、勢い任せに尋ねた。
「先輩のご両親って、どんなひとですか?」
 予想外な質問だったらしく、留惟は眉をひそめる。
「両親? まじめで温厚なお父さんとお母さんよ。子どもたちのことを尊重してもくれるような」
「そうですか。やさしいんですね」
「日立くんのご両親は、そうじゃないの?」
「母さんは浮気をして出ていきました。父は散散に言っていました。ぼくも思った。浮気なんて論外だ、人としてあり得ない。はずかしくてしかたなかった」
「そう。じゃあ、お父さんとの二人暮らしになったのね。お父さんはどんなかたなの?」
 父は、と広史は苦いものを吐き出すように、言った。言いたくて言うのではない。訊かれたから答えるのだ。
「父は、大学の准教授なんですが、汚職事件に関わっていたんです。半月前にニュースでかなり取り上げられていた」
「阿英大学の、裏口入学の汚職事件?」
「浮気を責め立てていた父だって、人としてあり得ないことをしていた。守るべきものを破り捨てたんです。もう信じられるものがない」
「ご両親だけが、日立くんの全部なの?」
「そうじゃないですけど……。一番信じたいひとたちが、一番信じられないなんて。その苦痛はぼくにしか分からない」
「だから、手近な学校の薬品を利用しようとしたの? もがいて死ぬために?」
「関係ないです。先輩には」
 机に腰かけて足をぷらぷら揺らす留惟は、相手の不機嫌など意に介さない。
「見せしめ? 腹いせ? あれ、どう違うんだっけ。わたし文系じゃないから細かいことわかんない。どっちにせよ、狭いね」
 広史がぴくりと反応した。
「狭い?」
「日立くんの見ている世界が、狭い。正しさについても狭い。ご両親を擁護するのではなくて。たんにわたしの印象」
 かっとなって、「やめてください!」と声を荒げた。

*



※本文に登場する団体・人物は架空のものです。

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