永遠と下書きが溜まっていく人生
これはnoteを続けている中で、ふと感じた事。
僕は普段「これ書きたいかも」と思ったテーマや表現を、出来る限りメモ帳ではなくまずはnoteの下書きにラフとして作成するようにしている。
だから当たり前に、下書きまみれ。笑
どうやら僕らはその時々の状況や機嫌で、書きたい事がコロコロと変わってしまうほど我儘な生物みたいだ。「引き出しは多い方が良い」なんて自分に言い聞かせてみた。遠くでサイレン音が鬱陶しい。
下書きが溜まっていく様子が、なんとなく僕らと似てる気がした。
・・・たぶんほんの一瞬の気の迷いかも。
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さて、当たり前な話だけど僕らは思った事や感じた事を、100%外に放出している訳じゃない。思いついた事でもこれは表に出してはいけないものだと思い、喉元まできた本音をグッと飲み込まなきゃいけない場面なんて多々ある、いや腐るほどある。若かりし頃、それが社会だって先輩に諭された事を思い出した。
飲み込んで胸の奥にそっと仕舞い込んだ"それら"が、
何故か"下書き"に似てるなと思った。
そんな「下書き」という名の当時の感覚の断片たちが、下書きフォルダに沈んでいき、やがては無かったことになるのかな。
そんなの嫌だな、少し悔しいな。なんて思ってしまう。僕はまだ、何でも割り切れるような立派な大人(?)にはなれない。
ただ思うのは、
下書きこそが自分自身で、下書きとして保存しているからこそ忘れたくないものなんだ。だからこの先それが何かの役に立つかもしれないし、ふっと込み上がってきたのに放出できなかった"それ"自体を愛してあげる事が、自分を肯定する事にも繋がるんだと。
「永遠と下書きが溜まっていく人生」、別にそれも悪くないじゃないか。
自分の中に留まったものこそ本物に間違いなく、
下書きは人間純度100%の欠片とも言える。
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これを読んでもし気が向いたら、自分のTwitterなどの下書き一覧を恐る恐る覗き見てほしい。インターネットという大海に放出なんてしなくて良い。
ただあの時の自分は間違ってなかったなんて思えたらほんの少し嬉しいじゃん。
人を潰すのは人だし人を救うのもまた人で。
でも世の中、人以外でどうにでもなる事もまた多くて、そんな季節の移ろいの中、僕らは今日も虚ろいで。
良い夜を。
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