他人軸の幸せと自分軸の幸せ

突然だが今日は私がオーストラリアへ行かなかった世界線について考えていこうと思う。

私は大学4年を休学して4月からオーストラリアに行った。本当に急に行くことを決めて行った。元々そういう人間ではあったが、海外に1年間行くという決断を速攻で決めたのは何故だったんだろう。

そこには単純に以下の理由があったように今は思う。


「私のプライドが高かったため」


私は自分で言うのもなんだがプライドが高くて嫌なやつである。常に人よりちょっと上に立っていたいという気持ちがある。今までもそう思って生きてきて、周りの人よりちょっと上に行くための努力を怠らず、実際にちょっと上の人生を歩んできたように思う。

そういった目には見えない「要領の良さ」みたいなことに頼って戦ってきた私にとって、就活という結果が可視化でき、差が明確になるようなことで負けることがすごく怖かったように私は思う。

実際、周りの人よりもちょっと上に立つために就活自体は大学3年の5月くらいから手をつけ始め、インターンや企業訪問を進めていた。

しかしそこで私は気づいたんだと思う。このコロナ禍という状況で、自身が何もしてこなかったことに。このままでは人よりちょっと上という人生の目標が達成できないことに。

そこで私は就活のエピソードを得れる&周りからの目という名の戦いの土俵から降りたくて実際のところ海外に行ったのだと思う。

私は今は亡き2023卒で就活をしていた自分の世界線に想いを馳せる。恐らくその世界線で私ははちゃめちゃに病み散らかしていたと思う。今だからおっぺらぺーで趣味のような形で就活をしている私だが、2023年卒の自分を想像するだけで心が重くなる。どうかそちらの世界線でも幸せに暮らしていてくれ。

私はこれまでも大きな決断を迫られる場面、大きな努力を必要とする場面では常にライバルや負けたくない相手、応援してくれる人などを意識してしか頑張ってこられなかった。

私は自分のために頑張れた経験が一度としてない。

最近は家から出ることもなく、家でただひたすら寝転んで、それでちょっと自炊をしたりして生きている。それでいてそれを外部にSNSで公表したりしないようになった。

それはなぜか、単純に周りと競う必要がなくなったからである。周りの友達の大多数はすでに就職をしており、基本的な土俵が変わってしまった。

私はその状況にとてつもなく安心し、だらけきっている。

私はもう自分自身を不必要に大きく見せたりしなくて良くなった。

しかしそうなってみればどうだろう、私はこんなにも自分を大切にできない。他人に比較されない自分のことなんて心底どうでも良いのだ。

ここで私は今までの人生を、基本的に他人軸で得られる幸せだけを享受してきたんだなと気づいた。だからこんなにも周りに人がいなくなった時の幸せの得方を知らない、どうすれば人に見られることのない生活を充実させれるかを知らない。

なんてつまらない人生だろう。


しかしそれがどうした。私は幼少期、とてつもなく性格が悪かった。それをいつも家族に言われていたし、自分でも理解していた。しかしそのことを誇らず他人軸の幸せを享受しようとすることでうまく性格を矯正して、立ち回り方を学んできたように思う。

他人軸での幸せを享受し続ける人生は、他人と関わらなければ生きていけない社会で生きていくのにとても役に立ったように思う。

私はこれからもきっと他人軸で生きていき、負けそうになったらそれを認めずに土俵を降りるという逃げを繰り返す人生だと思う。

そうやって肥大化した自意識から小さい部屋で身動きが取れなくなって最終的に孤独にしんだらいい。

今回はこの話を良い話風で終わらせるつもりはないからここら辺で終えたい。

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