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人生で初めて読書をやめた6か月

物心ついたときから、私の生活には本があった。

文字が読めないころは母が毎日読み聞かせをしてくれていたし、文字が読めるようになってからは毎日自分で本を読んだ。母に聞くと、2歳くらいではもう絵本を与えていたらしいので、そこからずっと本のある生活をしていることになる。

中学2年生くらいまでは自分が特別に本が好きとは思っていなかった。学校で「朝読書」の時間があるし、読書はみんながする当たり前のものという認識だったので、自分は特別な趣味もない人間だなと思っていた。

でも中学後半で「あれ?みんなそんなに本読んでない?朝読書の時間に渋々読んでるだけ?」と気づいて、年間100冊以上読む人間はそこまでいないというのは高校時代に知った。

そんな風に本が好きで、ずっと本を読んできた私が読書断ちをしたらどうなるか。大学時代、休学して海外に行くことになったとき、ちょっと実験してみたくなった。日本にいたら絶対無理。本のない生活なんてありえないから、やるなら今、これを逃せばチャンスはない…!

半年分読む本を持って海外に行けないという理由もあったけど、好奇心も重なって実験してみることにした。

結果。

まず、ちょっと考えればわかることだが、隙間時間とか暇な時間にやることがなくなる。特に私は英語圏でもない言葉の通じない国に行ったので (謙遜なしに外国語は喋れなかった、英語も大の苦手)、映画やテレビなどの娯楽も楽しめない。

でも一番大きかったのは「メンタルの復活に時間がかかる」こと。

落ち込んだり、辛いことがあったとき、頑張りたいとき、苦しいとき、自分がいかに本に頼ってきていたのかを痛感した。今の気持ちにぴったりな本を読んで泣いたり、励まされたり、笑ったり、明日からまた頑張ろうと思えたり、たくさんエネルギーをもらってきていた。

それがないとなると、落ち込んでも辛くてもやる気が出なくても、何をして復活すればいいかがわからない。しかも、外国という言葉も通じない文化も違う環境で、とっっっってもしんどかった。半年だからギリギリ耐えれたけど、何度も瀕死状態になったし、半年以上続けていたらどうなっていたのか恐ろしい。

もう絶対読書断ちなんてバカな真似はしないと誓った私は、その2年後また海外へ出たとき、キャリーバッグ一つに20冊くらいの文庫本を詰め込んで、追加で航空料金を払うまでして持って行った。(電子書籍買うお金がないから積ん読の山から持って行ったけど、よくよく考えたら追加料金払うし、電子書籍で良かったかもと帰るときに思った)

日本で読む量は持っていけないから、ちまちま読んでいこうと少なめの読書量だったけど、やっぱり本があるのとないのとじゃQOLがぜんっっっぜんちがう。より健やかに過ごせたよ…。

よく本は心のサプリだなんて言われて、もはや陳腐な表現かもしれないけど本当にその通りだと思う。サプリであり薬でありご飯であり空気である。足りない何かを補ってくれたり、劇薬として投入してみたり、定期的にとらないとしんどいし、ゼロだとメンタルが死んでしまう。

今でもそのときどきに合わせた本が読めるように、「落ち込んでるとき」「自己肯定感が下がってるとき」「笑いたいとき」「疲れているとき」「知的好奇心むくむくなとき」「文学モード」「誰かの人生の話を知りたいとき」「勉強用(各種)」「寝る前の短歌」などなどを本棚に揃えている。

たまに積ん読エリアを見て、「あ、落ち込んでるとき用の本がきれてるな」とか「短歌ない!短歌仕入れなきゃ」みたいな感じで買いに行ったりするから、それこそ薬とか食材みたい。

今の私はありとあらゆるエンタメに生かされている。本、マンガ、ドラマ、ラジオ、音楽、映画、バラエティ番組、YouTube…などなど。

その中でも一番付き合いが長いのが読書。

これからも死ぬまでずっとがぶがぶ読んでいきたいな〜〜。


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