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カワイイと言われたい

カワイイと言われたい。

私のことではない。
私が描いたイラストのことだ。
同じ風景や人物を見ても、描き手によってそれがどのように表現されるかは千差万別だ。
美しく描く人、おどろおどろしく描く人、見た目に忠実に描く人、デフォルメしてなんだかよくわからなく描く人、など描き手は自分の描きたいように見たものを表していく。そして、その意図通りに人に評価されることは私にとっては褒め言葉の1つだ。
例えば私が”こう描いたらかわいいだろう”と思って描いたものについて、かわいいと言う評価を得れば、それは私にとって”表現の成功”である。

アートは決して美しいものだけではない。静物画の中には、骸骨を描いたものもあるし、キリストの磔刑のような人の死を描いたものもあるし、ピカソのゲルニカのように戦争の惨劇を描いたものもある。それらは決して美しいわけではない。もし、骸骨の静物画を美しいと評価する人がいたら、正直なところちょっと引いてしまう。ゲルニカを見て、これはかわいいと思う人がいたら…いたとしても不思議ではないが、その人には作家の意図を受け取る知性や教養がないのだと少し哀れみを覚える。

山田五郎さんのYouTubeの中で、スーパーリアリズムについての評価として「写真みたいですね」という評価が1番失礼な言葉だとの話を聞いた。写真のように描くことが意図だとしたら「写真みたいですね」という評価は褒め言葉になるが、スーパーリアリズムは写真のように描くこと自体が目的ではない。それを汲み取れるかが鑑賞者の教養や知識や感性であり、作家は鑑賞者にどのように伝えられるか涙ぐましい努力を詰むのだ。


それに似た話として、私の絵を見た人から「上手ですね」とお褒めの言葉をいただく。私は自分自身で絵が上手いとは思ってはいないが、上手い・下手の話で言えば、では何が上手いのか下手なのかという議論から始めなくてはならない。だから、作品をどう感じたかを聞かせていただけるととてもうれしい。

作家が意図することが伝わらないことも間々ある。それはそれで面白い。作家が気づかない視点で見る人もいるし、自分では気づかない作品の長所を見つけ出してくれる人もいる。
そうではあっても、やはり意図することが相手に伝わることは作家にとっては嬉しいのだ。そしてまた、どんな作家も伝えたいことが伝わるよう、日夜研鑽を積んでいるのである。

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