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人に頼むのは難しい

日々ヘルパーさんにお世話になっていて、思った通りに動いてもらえずイライラしてしまうことがある。そんなことを言うと「人にやってもらっているんだから有難いと思え」とか「人に迷惑をかけているんだから感謝しろ」という声が聞こえてきそうだが、きっと実際にヘルパーさんを使った人でないとわからないことだ。もちろん有難いと思うし、彼女らがいなければ私の生活は成り立たないのだが、やはりそこは人間同士、うまくいかないこともある。

先日も私は、頼んだことの目的がなぜ達せられないのだろうとイライラし、イライラするくらいなら次回からは自分でやろうと思った。自分でできることを何故頼んだかというと、その方が効率的でその後の行動がスムーズだからだ。彼女たちがやりやすいように、目的と資料を用意して説明したにも関わらず、私が納得できるかたちで目的が達せられなかったのは、私の説明が悪い為に、彼女らが正しく理解できていないのではないかと凹んでしまった。

介護者と被介護者は、労働と対価で結ばれた対等な存在である。そして、基本的に物事の決定権は被介護者にあり、つまり私の意思や指示が優先される。しかしながら、彼女たちの考えややり方も尊重せねばならず、そのバランスは難しい。人に”やってもらう身”であることへの恐縮感と人をうまく使うことの狭間にいる。


そこでふと思った。
「頼むとイライラするからもう頼まない」という選択肢が私は一番楽である。私は今までの人生で、誰かに頼まれることはあっても、部下がいるわけでも、発注先がいるわけでもないので、人を使うことが下手だ。おまけにわりと自分で何でもさっさとできてしまうので、人に頼むとかえってイライラしてしまう。
その発想を少し変えて、人を育てるつもりではどうか。互いは対等ではあるが、対等であると思うから腹が立つ。私と同じ思考回路で動いてくれると思うから腹が立つ。あたかも私が上司であり、部下を育てるがごとく、気持ちの面でスイッチを変えてみようと思う。


こんなふうに書くととても高飛車のように見えるが、自分がイライラするから頼まないのでは、自分も相手も成長しないような気がする。
ただ、これには忍耐もいるし、ヘルパーさん側から「偉そうな利用者」と思われる可能性もある。
だからそこは匙加減…

そういえばカーネギーの『人を動かす』の電子書籍を持っていたような気がする。
まずは、読んでみるか。

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