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愛する男の作品

その男は私にこう言った。

たとえ創り手が、エゴイストでも、傍若無人であっても、節操がなくても、そんなことは私には関係ない。ただ、作品が良ければそれでいい。

私は今日、思わずその言葉を男に返してしまうところだった。

その男は、人間性が良くないというわけではない。
多少未熟なところは認めるものの、真面目で、繊細で、思慮深く、大胆で、冒険心に溢れている。
だから、私は言い換えよう。

創り手との私の関係がどうであろうと、私は構わない。ただ、作品が良ければそれでいい。

私は、その男が女と一緒にいるのを目にしていた。
男は、女に最大限の優しさと思いやりを持って接し、女はパトロンの娘のようにかしずかれて屈託のない笑顔を見せていた。

私は何時間も、男と女の談笑が終わるのを待った。
私の周りだけ時が止まり、周囲を、前や後ろや右や左から夢と希望と先程買ったであろう何かをぶら下げた人々が楽しげに通り過ぎる。
ぼんやり、しかしじっと、女の表情を見、男がこちらに気付いてくれるのをただ待っていた。

私が長時間そこで待っている姿を見ていた人達は、私を憐れんだ目で見ていたが、それは慈悲ではなかった。けして声はかけず、ただ恋に溺れた私の存在を感じている傍観者だった。

人は手にとった作品を愛し、作品は手にとってくれた人を愛す。それはやがて、作家への愛へと昇華する。そしてまた、作家も、自分の一部である作品を愛してくれる人を愛し、永遠に結ばれない相思相愛となる。

だが、私と男には一方的な愛しか存在しない。
男が私に対して愛の一欠片も持たなくても、私は男の髪のクセが、ヴィオラを撫でつけるような声が、匂いが、忘れられない。

その女が、男にとって私より大切な人らしかったのを知った時、今ここに男の作品を壁に投げつけ、空に放り出し、川の流れに沈める衝動に駆られるだろう。
あの女の遠慮のない笑顔を、この上ない憎悪を持って見つめるだろう。
男の作る作品を愛おしみ、慈しみ、そこに男の面影を求めるだろう。
嫉妬と恋慕と渇望と執着をすべて解決できる知性というものが存在するのならば、真っ先にその人の元へ行き、教えを乞うだろう。

可哀想な心は、星が瞬く音も聴こえない。
薄い雲に隠されて、輪郭を持たない淡い月の下で、大切にされなかった心は輪郭を帯びて、男が作った作品を思い浮かべていた。

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