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[短編小説] 梅雨の男(つゆのおとこ)

梅雨の季節になると、あの男はやって来る。
その男は雨の夜にしか、私に会いにきてくれない。

私が初めて付き合った男

「梅雨の男」とは、当時大学生だった私が初めて付き合った人。

少し年が離れた28歳独身の男。
早く大人の女性になりたいと切望していた私には最適な男だった。
しかし、20才そこそこの私は、大人になるための「踏み台」として、その男を利用したわけではない。
その男のことを「○○さん」と、名字でしか呼べないくらい、少し距離を感じながら純粋にその男のことが好きだった。

その男と付き合った期間は、たった2ヶ月ほど。
その年の梅雨が開ける頃には、関係は終わっていた。
もしかしたら、私は都合よく遊ばれのかもしれない。
もう会えなくなってしまったときには「梅雨の男なのだから、梅雨が開ければいなくなっても仕方がない」と自分に言い聞かせた。

その男と付き合った数ヵ月間、私は大人の女を演じることができたし、実際そうなれたと思う。

彼の車の助手席に座る時は、太ももの一番綺麗な部分が見えるスカートをはいて、ストッキングの色にもこだわった。
自宅付近まで送ってもらったら、わざと居眠りしている振りもした。
まだ子供だった私は、稚拙ながら、思い付くことは全て試してみた。

誘われるときは、いつも雨が降っていた

私の嗅覚は、雨の日にとても敏感になる。
普段は「匂い」には全く疎く、腐った牛乳の臭いさえかぎ分けられない。

そのため、腐った牛乳でお腹を壊した経験も少なくない。

その男の、雨の日の匂いが好きだった。
車内のエアコンの風量を調整しているときに匂ってくることもあったが、ベッドの中でその男の匂いを全身で感じることが大好きだった。

私たちは3回目のデートでラブホテルに行ったと思う。
まだ思春期で皮脂腺の分泌が盛んな私は、胸の谷間にできたニキビが気になっていた。
そんな未熟な部分は、この時のために買っておいた勝負下着で相殺した。

自分の体に漂う匂い

その男との行為のあと、記憶に残っていたのは「匂い」だった。
その匂いは次の日まで、私の体に残っていることが多かった。
大学の講義中に肘を付くと、自分の手にはその男の残り香が漂っていた。
トイレに行くと、自分の下半身からも感じられた。

ボディーソープで体を隅々まで洗っているはずなのに。

ある日の午後、ゲリラ豪雨のような雨が降った。
私は時折、窓の外の大雨を確認しながら、その男からの連絡を待っていた。
日が暮れて空が暗くなるにつれ、雨は勢いを増していった。
会う時はいつも、その男は夕方までには連絡をくれる。
きっと仕事で忙しいのか、豪雨のなかのデートは気が乗らないのだろうと、自分を納得させることにした。
でも本心は、この雨が止んでしまう前に呼び出してほしかった。

大雨の夜、10時の電話

夜の10時頃、その男は電話をしてきた。

男の声は雨の音で時々聞こえなくなったが、要件は今から会いたいとのことだった。

すでに私の自宅近くにいるようで、10分後に家の前で待ち合わせることになった。

大雨の中、私がなんとか車に乗り込むと、その男は無言でラブホテルへと車を走らせた。

私はこの大雨が止まないことを祈りながら、自分の体が熱くなるのを感じた。

その夜の行為は、それまでで一番官能的なものだった。


あの夜から3日ほどして梅雨が開けた

梅雨というのは、何の前触れもなく開けることが多い。

その年の夏は、晴天続きの猛暑となった。

梅雨明けと同時に、その男から連絡がこなくなった。

私の方から電話もしたが、いつも留守番電話で、伝言を残しても折返し連絡をくれることはなかった。

次の年の梅雨時に

次の年の梅雨の時期に、再びその男の匂いを感じた。

その匂いを感じたとき、自分の体が溶けるような感覚を味わいながら、切ない気持ちになった。

そして、その年の梅雨が開けると、その男は再び、私の体から消えていった。

その後もずっと、梅雨時の雨の日には、その男は私のところに戻ってくる。

雨の夜、自分の全身から漂うその男の匂いで、私の心と体は眠れないほど甘い痛みにおそわれる。














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