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音楽室の記憶 後編(短編小説)


扉の明かり窓から中を覗くと、教卓前のグランドピアノの屋根が開かれていて、その隙間から微かに揺れる頭が見える。
防音扉であっても微かに漏れ出る音色にリョウは確信を持って重たい扉をゆっくりと開けた。

音楽室に入っても、その音色でリョウが出した雑音は上塗りされ、譜面台に視線を集中させる演奏者の女性は彼に気づいていない。

リョウは何も言わずに入り口に1番近い生徒用の椅子に腰掛け、奏でられる音色に身をを預けた。

いつだろうか。
冷たい風がまだ肌を刺激し、肩を竦めたくなるが、日差しは暖かく柔らかい。晴れた雪解けの午後。

どこだろうか。
若干雪を被る菜の花が敷き詰めされた、幻想的な場所とも言える。バスの待ち時間に端に追いやられた雪の塊と、ロータリーの微かに残る轍が儚い、現実的な場所とも言える。

誰だろうか。
リョウの横には、もしくは正面には彼女がいる。彼を魅了する音色を奏でる彼女だ。

何をしているだろうか。
なにもしてはいない。リョウにとって彼女はなにもする必要がない。彼にとってはその笑顔だけで十分だろう。なにやら会話をしているのか、口元が不規則に動き、時には結ばれ、時には綻ぶ。

音色が止んだ時、リョウがいるのは音楽室。

「また、来てるんでしょ」

演奏を終えた彼女は、譜面台から視線を逸らすことはしなかった。

「うん。ずっと聴いてられる」
「恥ずかしいからやめてよ。もー」

イスから立ち上がった彼女は、ようやくリョウと向かい合った。
しかし、ちゃんと視線を合わせることなく、チョンとリョウの横の空席に腰をかけた。

「続けてくださいよ。気にしないで」
「気にするから」
「俺、邪魔しに来たんじゃないんですよ。聴きに来ただけ」
「だからー」
「ミズノ先輩のピアノ、好きなんですよ」

ミズノは少しだけ腰で巻かれたスカートを正して座り直した。
よほど懸命に演奏していたのだろう。ブラウスの上を覆うネイビーのカーディガンは右肩から少しずり落ちていた。

「ちゃんとお昼ご飯食べたの?」
「食べたよちゃんと」
「なに食べた?」
「パン」

目を細めリョウを睨むミズノは、優しく彼を小突いた。

「もう、ほら。ちゃんと食べなきゃダメじゃん」
「ミズノ先輩も食べてないでしょ」
「私は2限後の休み時間に食べたの!」

リョウはヘラヘラと笑った。叱られたバツの悪さよりも、彼女に心配されていることが嬉しいのだ。

「ミズノ先輩、それよりも練習」
「できるわけないでしょ」

ムウッと膨れるミズノの顔を、リョウは直視して見逃さなかった。

一曲だけ。そう懇願して、リョウはミズノをピアノの前に座らせた。
渋々と鍵盤に指を構えるミズノを確認して、リョウは先程よりもピアノに近い位置に着席した。

演奏を始めるミズノはまるで別人のようで、真剣な表情は美しかった。
今度は彼女の真剣な眼差し、指の動き、呼吸まで凝視するリョウは、彼女の奏でる音楽、そして彼女自身に魅了されていった。


リョウは3年になった。
時が止まったような音楽室で、彼はメロンパンを齧る。


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