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トマトとカボチャ

「カラオケバトルで負けたら嫌いな食べ物をお客さん全員から食べさせられる」というイベントを2回やったことがある。

シンガーソングライターの原口誠さんとの2マンライブだった。

誠さんはカボチャが嫌いで、僕はトマトが大嫌いだ。食べ物の中で一番。酸味と苦味が混ざったような味がどうしてもダメで受け付けない。

1回目は僕が勝ち、誠さんの苦しむ顔をニヤニヤしながら食べさせた。

しかし2回目は僕が負けた。

人の不幸は蜜の味。お互い勝った時の嬉しさが溢れ出している。

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「もしかしたら食べられるようになっているかもしれない」

大人になると味覚が変わって野菜が食べられるようになった。というどこかで聞いたような話を思い出し、それに微かな期待をした10秒後にはそんな期待をしたことさえも吹っ飛んでいた。

む  り  だ。

オブラートに包まずに言うともうゲロを吐きそうだった。

嫌いな食べ物というのはダメな人にとっては本当にダメだ。しかしそれが好きだという人がいるのも事実。ほんとうに多種多様だなあと思う。

最終的に「自分たちはいい音楽をやっているんだから、もうこんな茶番はやめて真剣に音楽で楽しんでもらおう」という格好いい逃げ道を用意し、トマトとカボチャをテーマにしたコラボ曲を作り「和解」という形でお互いのライブをサポートし合うイベントでこの争いは幕を閉じた。

お客さんが勝手にステージにおいていたトマトとカボチャのままごとセットを融合させて平和を表現したりもした。


世界中の人たちがみんな僕と同じぐらいトマトが嫌いだったら、「それやられるのトマト3個一気に食べるぐらい嫌だ」「え、それはごめん。」と価値観の共有が楽になるのになあとおもう。

トマトでなくてもなにかひとつ全員が同じ感覚を共有できるものがあればいいのだけど、面倒なことに僕らは不便にできている。

でもそれでもこうやって2マンライブをしたり、サポートをしあったり、観にきてくれる人がいたりして僕らは笑い合っていられるからきっと大丈夫なのだろう。

違っているから違いが愛おしいのか、同じものがある方が愛し合っていられるのか、それはわからない。わからないけれど結果として違っているのだからそれがいいよねと言えるように考えたほうが明るいと思うのだ。

また誠さんとも一緒に歌いたいな。

もちろん罰ゲームはなしで(笑)


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