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【よもやま話】『写真集×短歌 イスタンブール旅行記』

2024年1月14日、文学フリマ京都8にて『写真集×短歌 イスタンブール旅行記』を発売しました。

本書に収まりきらなかった話をまとめておきます。

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表紙について

表紙を飾る1枚についてはかなり迷うことになった。
あんまりトルコっぽい写真はガイドブックみたいになっちゃうし、食べ物を出すとグルメ本かと期待させてしまうから。

当時のカメラデータを眺めていて、ふと細長いデータを見つけた。
デジカメのパノラマ撮影機能を使って撮ったものだ。

当時、初めての海外旅行のために初めて自分でデジカメを買って、その機能を使いこなそうと試した痕跡だった。パノラマ撮影をやってみたことがある方はおわかりかと思うが、あれは正確に水平に動かさねば継ぎ目がズレてしまう。人などが動くと綺麗には映らない。このデータも、実際心霊写真みたいになったところが向かって左側にあって、レイアウトしてみるとちょうど表1(表紙)にかかってしまう。しかも、ぱっと見ではここがとくにトルコですという確たる情報もない。しかし、その写真を眺めているうちにだんだん気に入ってきてしまって困った。そもそもここはどこで撮った写真だっけ? 年号変わってもはや十三年前になってしまったイスタンブール旅行のあと、撮りっぱなしでまともな整理をしておかなかったので、観光地でもないかぎりどこで撮った写真なのかはわからなくなっている。

本書で採用した写真については、Googleで画像検索してみたり、写真を拡大して通りの看板をGoogleMapにアルファベット入力してみたり、時系列的に推理したりして判明させてきた。しかしこの写真は海に面しているということくらいしかわからない。フェリー(水上バス)を降りたところかなとも思ったが、最初にフェリーに乗ったのはこれの翌日だったから違うのだろう。この写真の前にサバサンドを食べてオレンジジュースを飲み、この後に写っているのがエジプシャンバザールだった。と、いうことはガラタ橋のたもとのあたりだろうか? 右端にモスクが写っており、モスクはミナレットの数でわかることもあるのだが、見切れているからわかりにくいなと思いながら、GoogleMap上でエミノニュのResadiye Cadをそぞろ歩いていると、運良く写真右手の建物を見つけた。Istanbul Ticaret Odası(イスタンブール商工会議所※トルコ語アルファベットが表示されないため一部欧文アルファベットに変換)とその図書館らしかった。と、いうことは右端のモスクはイェニ・ジャーミィか。そこまでわかったが、写真では海の向こうとなっている。つまり、わざわざガラタ橋を渡った対岸からこの写真を撮ったということだ。記憶になかったが、きっとそうなのだろう。

つぎにGoogleMap上でガラタ橋をてくてく渡り、角度的にカラキョイに目当てをつけて散策した。カラキョイはフェリーの駅でもあるし、雰囲気的にもたぶんそうだろう。GoogleMapの過去の写真まで探ってみたが、けっこう雰囲気が変わってしまっている。それに海際まではデータがなく、立ち入れなかったりする。しかしおそらくそうだろうとあたりをつけて、表紙には「Karaköy 2011/9/12」と入れておいた。一事が万事こういう調子だから、どんなに些細なキャプションでも入れるのに大変時間がかかったことがおわかりいただけるだろうか。

文字入れについては、InDesignで使えるフォントをいろいろと試してみたのだが、結局游ゴシックに落ち着いてしまった。
途中経過についてはツイートが残っている。

表4(裏表紙)には「イスタンブール旅行記」部分のトルコ語訳を配置。日記にあたる「Günlügü」にちょうどウムラウトやブレーヴェがふんだんに使われているので(※トルコ語アルファベットが表示されないため一部欧文アルファベットに変換したが、小文字のgの部分がブレーヴェです)、ひと目で英語圏ではないことがわかってよい。しかしこのレイアウトで並字だとせっかくの写真を隠してしまうので、50%透過など試した後に最終的には中抜き文字にして、表紙もそれに揃えた。

今回は90ページのボリュームなので、背表紙の文字入れにも初挑戦。以前『歌集 架空の臓器』を作ったときは野暮ったい無料アプリでどうにかこうにか作ったので、背表紙までは手が回らなかったが、InDesignならミリ単位で調整できるから初めて可能になった(なお、イラレは使えない人です。仕事では表紙は制作部がやってくれるのでノータッチだったのです)。

以上が表紙についてのがんばりでした。

本を作る人ならわかると思うのですが、一番後回しになってしまいがちな表紙というのは実はかなり重要で、自分にとっても絶対に手を抜きたくなかったところになる。なぜなら、文学フリマでの頒布を考えたときに、自分のことを知らない通行人に手に取ってもらえるかどうかを分かつ唯一の情報だから(たまにタイトルなしデザインのストロング・スタイルな作品も見かけますが、タイトルはなるだけあったほうがいいというのがわたしの考えです)。タイトルを決定する際、歌集なら「歌集」と、詩集なら「詩集」と、旅行記なら「旅行記」としてきたのはそういう事情もある。特にわたしのような、ブースの机がさまざまなジャンルの刊行物で溢れ返る系の作家ならば特にそのほうがいいと思うのです。

そして今回フルカラーで90ページにもなってしまったので、既刊の金額設定よりも倍以上跳ね上がってしまうことは最初から想定していました。1,500円2,000円する本は最初から手を付けられない可能性だってあるので、ちゃんとそれなりに見栄えをさせる必要があった。おかげで「おっイスタンブール?」と足を止めてくださる方もいたし、手に取るとわりとじっくり立ち読みしてくださった気がする。イスタンブール行ったことあるんですよ、と話してくださった方もいる。嬉しかったのは、「イスタンブールってどこ?」と言いながらも手にとってくださる方もいらっしゃったこと。ニッチな本を作っていることは最初からわかっていたので、これはもうデザインのがんばりと言っていいのではないでしょうか。嬉しいツイートを埋め込んでおきます。

ただ、購入に至るまでの金銭的なハードルが高かったようだけれど、そのときに渡せるチラシも用意しておいたから気まずくならずに送り出すことができる。8年くらい文学フリマに出ることによってそういうテクニックも身についてきました。

その他、祖父のこと 少し父のこと

納本を年明けに予定していたところ、思いがけず年内に受け取れることになり、というか帰省のバスに乗るその日の午前中に届いたので、ついでに1冊実家に持ち帰った。本にも少し書いているが、トルコには祖父も生前夫婦で旅行したことがあり、去年の5月に十七回忌で帰省したとき、その旅行記を見せてもらっていた。

(一部伏せ字にしています)

仕事の関係のツアーかなにかで、イスタンブール、カッパドキア、アンカラまで行って8日間の旅。スペイン旅行に味を占めて2回目の参加とあり、その後も夫婦でいろんなところに行っていたのを覚えている。海辺の町で海軍に志願し、戦争を生き延びて戦争体験記まで遺している祖父が、後年になって海外に魅せられたというのはどういうことだったんだろう。けれど旅行記を読んでみても、見たもの食べたものを中心に主に事実の羅列となっており、あんまり可愛げがなくて笑ってしまった。旅行記・体験記を書くような性質は子どもたち(父と伯母)には遺伝しなかったようなので、ちょっと不思議な感じもする。だからわたしも旅行記を書いたら、仏壇に供えてやろうと思ったのだ。

その後父と母と妹にも見せてみて、母が表4(裏表紙)の短歌「現状に不満はないけど来世ではイスタンブールのねこになりたい」について、「親子でおんなじこと言うとるわ」と呆れて言ったので驚いた。両親は当時珍しいことにハワイでひっそりと挙式をし、タヒチで新婚旅行をしている。海外への興味よりも飛行機への恐怖が常に勝っている父ではあるけれど、その帰りに「タヒチのいぬになりたい」と語ったと言う。なんだそれ。いや、ほんまかいなと笑いながら、あんまり似ていない親子三代の繋がりを感じたのでした。


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