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ヨガとゴシュランで生き方を学んでいる

私は宮城県で生まれて宮城と山形での生活を経験しており根っからの東北人です。父親を早くに亡くし、我が家には母親の友人たちはじめいろんな人の出入りが多くて、一般的なおうちではなかったと思います。

おうちに出入りしていた方々の思想(今でいうとリベラルかな)に影響を受けて育っている部分もあるし、お祭り騒ぎのバブルな学生時代や体育会系企業に就職し、ゴリゴリの成果主義な競争社会を経験しました。今取り組んでいるゴシュランは自分から発信しないと仕事が成立しないので
(定期的に入ってくる収入がなく、地位や財のない、無名だから自分で名前を売っていかなくてはならない)行動力でビックリされることもあります。

ヨガの師に「東北の女性でゆみちゃんみたいな人は珍しいかもね。」と言われたことがあります。良く見てくださっているなぁ~と感激したことがありました。私は師の魂の強さに惹かれ、現在も師の元で学んでいます。

師は昭和22年生まれで実母と同世代。20代で渡米するのですが、その当時の人たちの価値観から見たら、敗戦国の若い女性が、たった1人でアメリカに渡るとはクレージーな人に見えたと思うのです。師の教えは、この三次元は、行動するものには、なにかしらの道が開けるという実践主義者なのです。勇気をもって進む師の魂に共感、共鳴します。

師の元で一緒に学ぶ仲間がある時「ヨガと宗教の違いを教えてください。」と師に質問をしました。「宗教は疑いの余地を持たせないが、ヨガは疑いの余地を持たせる。」とすぐさま答えました。「ヨガは疑いの余地を持たせる」=この答えはヨガスートラ(ヨガの教典)にも書かれてますが、師匠の口から発する言葉にストンと心が据わったような感覚になりました。(疑いの余地があるなしに良し悪しはなく、神や仏の世界とヨガは別だと私自身は解釈してます。ただしヨガをしていると自分の中に小さな神さまが宿るという感覚はある。)

師の御主人はアメリカ人です。師は英語を話すので、インターナショナルという言葉が似合いますが、コテコテの日本人だなぁ~と思う時があります。それは神道や日本の歴史を話をする時です。若い時に日本を出て外国から日本を見ることで日本を思う気持ちが、強くなることもあったのではないかと想像します。

ヨガって呼吸やポーズや哲学や解剖学などスクールで学ぶますが、最近は師から生き方を学んでいるような気がします。生き方を学ぶということは自分のルーツを知ること=地域の歴史や自国の歴史を知ることも大切になってくるのではないかと感じます。日本って渡来人が文化や技術を運んできてインターナショナルという言葉がフィットしていた大昔がすでにあったんです。

話は横に滑りっぱなしですがヨガって真言密教と深い関係があって、真言密教といったら空海さんです。空海さんは四国八十八カ所のお遍路を作っているのでウォーキングツアーのはしりで(空海さん、本当になれなれしくてすみません)ゴシュランともリンクするでしょう(笑)ヨガもゴシュランもつながっていてヨガとゴシュランから生き方を学んでいる自分です。

ゴシュラン 鈴木

Facebook  https://www.facebook.com/yumiko.suzuki.shanti

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画像は今年の8月のサマー合宿にてファンキーでインターナショナルな師74歳と。師から生き方を学んでいます。


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