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精神世界

大学時代、Graphic Artの世界を通して「ものづくり」の世界に飛び込んだ。頭の中で生まれてくる想像やインスピレーション、それら「まだ見ぬ姿」を現実世界で形にする。夢中になった。

数十年経った後の今、導かれるような不思議な流れの中で再び辿り着いた「ものづくり」の世界。再開した当初、魂が「創造」を漸く取り戻す事が出来たかの様に「潤い」を覚えた。しかしそれは大学時代とは全く異なる経験や体験の連続。学生時代の制作活動を「自己表現」と例えると、今の「ものづくり」は「精神世界を学ぶ」という事に繋がっている。それは「作り手の自分」と「受け取る相手(作品を受け取ってくださる方)」の存在が大前提で、厳密に言うと「完結」と言うピリオドは無い。

この
『「完結」と言うピリオドは無い』
については、後程本文の終着点となる予定である。

「物には人の思いや念が宿る」と様々なシーンで様々な人に聞かされて来た。その様な実体験がこれまでの自分には無かったが、それについては特に疑うことはせず、「そういう事らしい」と言うくらいのレベルで軽く信じていた。

しかし驚く事は、今自分が行なっている「ものづくり」が正にそのものであるという事。もう少し砕いて言うと、音や形のない込められた「思い」に対し、作品を受けとって下さる方が確とその「思い」を受け取って応答して下さる。

度々届くメッセージは

感動や感激
幸福感や喜び
期待感
充足感
作り手の心が感じ取れる
作り手が込める思いが伝わってくる
更には
作り手の真摯な人柄が伝わってくる
等々のお言葉。

これら数々の有難いお言葉に感極まり、最高の報酬を頂いた思いで私は幸福感に満たされる。

私が作品に込める思いとは特別に難しい事ではない。しかしその思いとは生きていく上で、そして生かされていく上で「要」となる事ではないだろうか、と思っている。

それはどの様な思いであるかというと、
ただただ
相手の喜ぶ事を願い
相手の幸せを願う
それだけ。

「ただただ」とはどの様な事か。
それは、
相手が喜ぶ事を願い、相手の幸せを願う時、
それ以外の感情や念は持たず、

如何なる
怒り
憎しみの
不満
の感情

駆け引きの心
欲の心
は持ち合わせない
という事。

『正のエネルギーを乗せる器』、
それは私が手掛ける『作品』であり、
その器もまた、濁りなく美しい物でなくては役目を果たせない。

ハンドメイドであるからと理由をつけ、
曖昧に済ませたり逃げるのではなく、

ハンドメイドであるからこそ、
妥協をしない最高に美しい物を、
丁寧に、
誠心誠意込め、
一心にその形を創造する。

その結果となるものが皆様からのメッセージとなり、私の元へ「正のエネルギー」として戻ってくる。戻ってきた「正のエネルギー」は私の心を幸福で包み「ものづくり」を続けていく力となり、この先ずっとこれを繰り返す力ともなっていく。私の作品を喜んでくださった方から生まれる正のエネルギーも、きっと次の良いものを引き寄せ、その良いものはまた次の良いものを引き寄せるであろう。「正のエネルギーループ」である。

これこそが本文冒頭で述べた
『「完結」と言うピリオドは無い』、という事。
途切れないのだ。

「ものづくり」を通して「精神世界」の仕組みを体験、学ばせて頂いている。この事を通して改めて自分に問う。今の自分にとって「ものづくり」とは何か。それは、目の前の案件に精一杯の全てを込め、幸福の種まきをするということ。微力ながらにも制作活動を通してこれが叶ったならば、また誰かのお役に立つことができたならば、私は最高に嬉しい。この様にして私は生かされていると感じる。