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60年代末青春グラフィティ ひかりみちるしじま

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闘争と青春の記憶(エッセイ)
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#学生運動

ひかりみちるしじま(4)

ひかりみちるしじま(4)

 1月19日の夜遅く、福岡の警察署から釈放されたのは私ともう一人の二人だけだった。同じ時に逮捕されたのは三人だったが、一人は起訴されてさらに勾留が続いた。(起訴されたが、のちに警察の過剰警備があったとされ無罪になった。)
 手錠を外してくれた警察官が「もうデモは終わったから、君らも早く帰りなさい」と言ったが、とりあえず拠点の九州大学の寮に行ってみた。すると、警察官の言ったことが真っ赤な嘘であること

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ひかりみちるしじま(6)

ひかりみちるしじま(6)

 1968年の3月から4月にかけて何度か「王子野戦病院闘争」にも参加した。東京の住宅街である王子に地元住民の反対の声を無視して、米軍は、ベトナム戦争で負傷したアメリカ兵を治療するための野戦病院を開いた。その撤去に向けて、3月、4月と激しいデモが行われ、私も参加した。「三里塚闘争」とセットで、千葉県の農村地帯と、東京都の市街地を行ったり来たり、荒れるデモを連戦した記憶がある。
 王子でも、佐世保と同

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ひかりみちるしじま(7)

ひかりみちるしじま(7)

 1968年4月のいつの日だったか、京都の山寺で私が所属していた学生運動の党派が、関西の学生を集めて泊まりがけの会合を持った。前年、67年の10月8日以降、激しい街頭デモが続いていた頃のことで、政治的あるいは社会的な課題をめぐって、これまでの運動の成果とこれからの運動の方向や戦い方を確認する、というのがテーマだったように思う。

 その日は確か週末だった。理由はもう覚えていないが、私は一人だけ遅れ

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「ひかりみちるしじま」(14)

「ひかりみちるしじま」(14)

 1970年2月酷寒の頃、母が私の安アパートにやってきた。
 1968年の1月にカソリック教会が運営するアパートを追い出されて以来、2年ばかりの間に何度も住むところを変わった。この時のアパートが何度目のところだったかはもう思い出せない。

 逮捕状が出たという情報で、急いで引っ越したこともあるし、深夜に他の学生運動党派に殴り込まれて、家主から出てくれと言われたこともある。三度目に引っ越した時に、ほ

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