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スクールカウンセラー、子どもの権利を考える

学校と人権


学校は【人権】という言葉が好きらしい
人権擁護週間とか人権ポスターとか
 
スクールカウンセラー(SC)は、この言葉を目にするたびに気になっていた
学校の中での「子どもの人権」がどう扱われているのか・・・
 
〝人権の標語〟が廊下に貼っている
そこには「あいさつをきちんとしよう」と書いてあった

(え?人権って、あいさつと関係があるの?
もしかして、あいさつしない子には人権がないとか?)
 
もやもやしたものがわきあがる
 
学校では、子どもたちの人権はどう扱われているのだろう?

だれもが平等に幸福に生きる権利がある
それが人としての権利、人権だ
それがおびやかされない社会を作る必要がある

子どもも社会の一員だから、もちろん人権がある
 
では、子どもの権利と大人の権利はどうちがうのだろう?
 

子どもの権利とは?


ユニセフのさだめた「子どもの権利条約」(日本も参加している)
子どもの権利として以下のように紹介されている
 
生きる権利
住む場所や食べ物があり、 医療を受けられるなど、命が守られること
 

育つ権利
勉強したり遊んだりして、もって生まれた能力を十分に伸ばしながら成長できること
 

守られる権利
紛争に巻きこまれず、難民になったら保護され、暴力や搾取、有害な労働などから守られること
 

参加する権利
自由に意見を表したり、団体を作ったりできること
 
以上4つが紹介されている
現代の日本でもこれらの権利が脅かされている子どもたちがいる
 
とくに児童虐待は、生きる権利をうばわれかねない深刻な問題だ
学校ではいじめもそうだ
いじめや虐待問題に真剣に取り組む必要があるのは、
子どもたちに「生きる権利」「守られるべき権利」があるからだ
 
ここで最後の「権利」について気になってくる
 
「参加する権利」
自分の意見を言うことが許されて、そのための活動ができる権利
 
日本ではどうなのだろう
とくに学校では・・・
 

校則と人権


よく話題になっているブラック校則
ブラックかどうかの線引きは微妙だけど、
たいていの学校には校則がある
 
制服の着方、髪型、髪の色、靴下や肌着の色までも
びっちり決められている学校は多い
違反すれば、叱られて、罰せられる
ルールに従えない「悪い子」のレッテルが貼られる
 
そして禁止事項の多さといったら・・・
「廊下は走ってはならない」「携帯は持ってきてはならない」
「寄り道はしてはならない」
コロナ禍では「マスクを外してはならない」も・・・
 
子どもたちはいけないことにがんじがらめにされている
まさに校則=拘束
 
おおぜいが過ごす学校にルールがあるのは理解できる
お互いを大切にするために「してはいけないこと」を決めておく
それも必要だろう
 
 
しかし実際、校則を決めるのは教師。
変えることができるのも教師
子どもたちはただ従うだけ
理不尽だと感じても、変えるためのアクションは起こせない
 
子どものためのルールなら、自分たちで話しあって変えていけばいい
 
それが「意見を言う権利」「参加する権利」ではないだろうか?
 
人権が好きな学校でそういう声が出てこないのは不思議だと思う
 

子どもたちに「休む権利」を!


もう一つ加えてほしい子どもの権利がある
それは「休む権利」だ
 
今の子どもたちはあまりにいそがしい
朝早くから部活、そして授業、委員会や係りの仕事
放課後もまた部活
学校行事もたくさんある
 
家に帰れば習い事や塾の予定がつまっている
 
自分の時間などごくわずかしかない
いつもせかされていて、のんびりくつろぐ余裕などない

こころとからだの成長にはじゅうぶんな休息が必要だ
それなのに眠る時間が5,6時間しかない子もいる
「疲れたー」「かったるい」「だるい」が口癖になっている子たち

見ていて気の毒になってくる

そういう生活につかれはててしまった子も多い
「しなくてはいけないこと」に追われて、こころとからだがすりへっていく
気がつけば、電池が切れたように体が動かなくなってしまう
不登校の中にはそういう子たちがとても多いのだ 

もう少し子どもたちを休ませてほしい
学校でも「なんにもしないでだらっとする時間」を作ってほしい
 
子どもの人権とは「なにもしないでも、あなたはそのままでもいいよ」と大人が言ってあげることじゃないだろうか?

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