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金なし、職なし、ローンあり

「あなたには、こうなる前に辞めてほしかった」
私が会社を辞めるときに、仲良くしていた先輩に言われたひと言である。

免罪符なんていらない

都内で営業職をしていた当時、俗にいうブラックな企業に勤めていた。何気なく「ブラック企業診断」をした日には、5000000個くらいチェックがついてしまうような、そんな会社だった。それもいま思えばブラックだったなという程度で、働いている折には「これが普通の社会人なのだ」と信じ込んでいた。2016年に新卒で入社をして、病気になって退職したのが2019年の2月だから、およそ3年間。客観的に見てかなり短い期間だったけど、いたって地獄のような日々だった。どんなきっかけで観たのかはもう忘れたけど、映画『ちょっと今から仕事やめてくる』を鑑賞して、その後しばらくは電車を眺めながら「もしわたしが線路に飛び込もうとしたら、だれか後ろ手を引いてくれる人はいるのだろうか」と、ぼんやり考えながら通勤したのを覚えている。めちゃくちゃ病んでいる。
うつ病と診断された時には、診断書片手に、これで晴れて会社を辞められる!と半ば喜んだ。そこで冒頭の先輩のひと言である。診断書なんて免罪符まがいのものは、必要なかったのだ。実際、次の仕事に復帰できるまでには1年弱を要したから、20代の働き盛りが払う代償としては、かなり大きなものになった。生涯年収にして、いくらの損失だったのだろう。もがけばもがくほどに沈んでいく、まるでアリ地獄のような日々。二度目に迎えた就職活動は「うつ経歴者」としての、劣等感との闘いだった。病歴や履歴書の空白を突かれる度に「こいつ、私のことを馬鹿にしやがって」と何度も思った。その思考そのものが、自身の劣等感の現れだったのだけど。転職して分かったのは、自分が思っているよりも、周囲は他人の過去を気にしてなんていないということだった。

限界突破して分かったこと

いま私は、人生三度目の就職活動をしている。必死こいて入社した割と大手の安定したポジションで働けているにも関わらず、転職せざるを得ない仕方がない事由が発生してしまったのだ。改めて転職活動をしながら思うのは、就活って、やっぱり自分との闘いである。理由も知らされずに、積み上がっていく不採用の文字。気持ちの落としどころが行方不明で、どこが悪かったのか粗探しに躍起になる毎日。氷河期がまた訪れようとしている。不安ばかりが募るけど、焦ってまた失敗をするわけにはいかない。次に体調を崩したら、劣等感のピラミッドが天まで貫いて、もう二度と社会復帰できないのではないかと思っている。

うつになって、自分の限界を突破してみて、良かったと思うことがいくつかある。

ひとつは、どこが自分の天井で、どこが沼の底なのかを知れたこと。自分の手に負える範囲を、よくよく身に染みて知ることができた。

ふたつ、苦しいときほど周囲を見渡す必要があるということを改めて痛感させられた。自分がいま何に支えられているのか、今まで誰に支えられてきたのか、よくよく思い出してみる必要がある。家族でも、たまに行くコンビニの店員でも何でもいいけど、人間はひとりで立つことなんて到底無理な生き物なのだと理解することができた。

みっつ、無理だと思ったらさっさと逃げる!というか、それは逃げではない!!!ということを学んだ。敵前逃亡じゃなくて、生産的撤退である。いま無理をすることでその後に己に降りかかる被害の大きさを、よくよく天秤にかけてみるのが大切である。もし天秤が壊れているのなら、それはもう潮時なのかもしれない。大丈夫、潮はまた満ちる。

就活辞めました

無理だと思って就活サイトを見るのを辞めてから、今日で3週間が経った。3週間前の私は、なにをそんなにヒリヒリと焦っていたのだろうと、今になって笑えてくる。ちなみに、この3週間でなにが変わったって。特に何も変わってはいない。疲れたから休憩しただけ。それだけ。だから新たにスキルや職への手がかりを得たわけでも、なんでもない。不況だ不況だ就職難だと毎朝テレビは言うけれど、そんなことを気に掛けるよりも、遠くの電車の音を子守歌に布団でぬくぬくと本を読む方が、今後の人生には有意義な時間である。金はないしローンはあるけど、焦ったところで、この不況禍にまともな職に就ける人が、いかほどいようか。

前進か、撤退か、それとも休憩か、いま自分が何をすべきなのか、じっくり考える必要がある。もし自分で思考が巡らせないほどに疲れているのなら、昔の知り合いに会ってみると良い。いつかの過去に置いて来た宝箱の鍵を、持っているかも知れないから。



息を吸って、吐きます。