多様性や価値観について考えてみた
多様性。
最近よく耳にする単語の1つだ。
ダイバーシティとも言われる概念である。
多様性を尊重するとか、
多様性を受け入れるとか、
そんな表現が使われるが、
『言うは易し行うは難し』である。
◼️後輩のことを考えて?
私は、最近、Voicyやオンラインサロンで、
様々な刺激を受けており、お金の重要性や、
発信することの必要性や、働き方だったり、
人生をどう生きるかみたいなことを考える。
そうした、自身の気付きを、例えば会社の後輩に
教えたりするのだが、その後輩のリアクションは
芳しくない。
受け売りであるが、変化の激しいVUCAの時代、
また、人生100年時代を考えた際に、
行動しないことや、変化を恐れることは、
自身の首を締めかねないと思っている。
後輩には、発信する価値があると思っているし、
彼女の今後のキャリアや人生を考えた際に、
発信することは重要だと思い、たまに何気なく、
そんな話をしているのだ。
◼️その子の価値観は何か?
しかし最近になって反省するに至った。
もちろん、その子に対して、強制するような物言いを
していないが、どう受け取っているかはわからない。
たまに何気なく、と書いたように、
毎日毎日言っているわけでもない。
そうは言っても、彼女がそうした選択を取らない以上
私の発言は苦痛になっているのではないか?
そう振り返ってみて反省した次第である。
当たり前の話だが、発信しない、あるいは、
発信したくないというのも立派な意見だし、
それはそれで1つの価値観だということに気づいた。
私は、私自身のために、発信という行為をしようと
心に決めているが、彼女には彼女の価値観があり、
判断や決断がある。
その価値観や選択について尊重することが、
まさに、多様性を受け入れることなのだと思った。
◼️その行動は何のため?
こうしてnoteに書き記す中で、後輩に対して、
お金、発信、働き方、といった概念を伝えたのは、
果たして彼女のための行動だったのか?
と考えるに至った。
日々インプットしたことを、
アウトプットしたかっただけではないのか?
もしくは誰かに聞いて欲しかっただけではないのか?
自分の浅ましさに凹んでしまう。
そんな自分自身の内なる欲求もあるかもしれないが、
他にも理由があると、また気が付いた。
それは、私の考えの根幹に、
『選択肢を得た上で判断したほうが良い』
という認識があるからではないか、ということだ。
そんな認識というか価値観があるから、
自分が得たものが、他人にとって選択肢になれば
よいのではないか、となってしまうのだと思う。
ただ、それは他人にとっては迷惑なことなのだろう。
発信の仕方や、伝え方を、相手の視点に立った上で
再構築できるのかが問われている気がした。
相手を幸せにする伝え方。
難しいチャレンジになるが、そんなことを考えて、
日々行動していきたいと感じたひと時であった。
こんなポンコツな私ですが、もしよろしければサポートいただけると至極感激でございます😊 今後、さまざまなコンテンツを発信していきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いいたします🥺