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生きる

日々お洒落で綺麗な文章を心がけたいのだが、自分の身体について書く時、それは脆く砕け散る。着飾ることが出来ない。裸の事実がそこにある。
普通を演じることは難しい。健康な人がとんでもなく薄っぺらく思えて仕方がない。

しかし今日も、世界の隅っこで息をする。

上記の投稿(全文を載せたかったが、あいにく新聞記事は実家の学習机の中に仕舞われている。関ジャニ∞の楽曲『生きろ』に救われたという内容)をしてから年月は経つが、相も変わらず身体は痛いままである。
大学の時にアルバイトなどをして病院代に100万ほど注ぎ込んだが、何も改善されなかった。夏木静子の『腰痛放浪記 椅子がこわい』をはじめ、肉体的心理的両方の観点から書籍を漁り試してみたが、医者に「原因が分かりませんねえ」と言われ、「じゃあもうええわ」と自分自身匙を投げた。“分からない”という言葉の持つ威力を知った。

今になって、日記をつけておいたらよかったなと思う。ノートに殴り書きで遺書を何枚か作成したことはあったが、とても読めた物じゃなかった。
整骨院、電流、鍼灸、カイロプラクティック、リリカカプセル…本当に色々試した。腰痛?坐骨神経痛?繊維筋痛症?何の手当てもしなくなって3,4年。躍起になっていた頃より、心は穏やかである。

職場の人で私の身体の状態を知っている人はいない。友人にも冗談めかして言うものだから、ほとんど伝わっていない。これでいいのだ。この生き方しか出来ない。理解を求めて説明をして突き放されるのは御免である。
群発頭痛、蓄膿、痛風など抱えている人を愛おしく思う。とても近くに感じる。
妊婦のように、老婆のように、パッと見で分かればどれほどいいか。

変な身体になってから、私を好きになってくれた人はいただろうか。分からない。けれど私が好きになった人やものはあった。良いものを良いと言える自分を誇りに思う。


関ジャニ∞と共にあった学生時代は何にも代え難い。無邪気にアイドルを追いかけたあの頃。社会に出て夢から醒めてもなお(醒まされたのではない。自分で自分の頬を勢いよくつねったのだ)応援する気持ちは変わらない。
メンバー制作の『ありがとう』という曲がある。ヤスが書いた「一度きりだけの人生じゃ伝えきれない 二度目の人生もみんなに伝えるため会いにいくね」の部分に私は痺れた。
二度目の人生があるならば、私はきっとまた、彼らを好きになる。


窓から麻婆豆腐の良い匂いが漂ってきた。夜中に隣家による飯テロとは……小腹を満たすため、このあたりで筆を置くことにする。

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