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好きなように生きてみることにしました。

細々と続けているこのnote。特に誰にも見せることなく、投稿記事も多くなく、何かの役に立っているとも言えないものだけど、過去の自分が面白くてとりあえず残している感じです。

またこの文章も、未来の私のひと笑いになるなら、と思って、いま考えていることをまた残そうと思います。

まず、過去の私、聞いてください。
あなたは、この1年くらいの間、自分が思い描いていた未来とは全く異なる人生を歩みます。キラキラした未来を想像しましたか?真逆です。これ以上ないくらい、辛い毎日を送っています。周りに味方が一人もいない(物理的には違うし、完全に被害者目線で)ので、気軽に話せるひともおらず、せっかく気合を入れて上京してきたものの、あなたはいつも一人です。

初めて「こんなに私って孤独なのか」とあなたは思い知ります。そして、どんなに真面目にやったって、誰も振り向かない、結果が伴わないこともある、という社会の真理にやっと気が付きます。これは、きっとあなたにはかなり辛いことです。小さい時から、「いい子」というのがあなたのストロングポイントだったのに、もう、誰もそれだけでは褒めてくれないのです。

あなたは毎日のように泣きます。家に着く前にこらえきれず、帰りの電車から涙ぐみ始める日もあります。姉に週1回は電話をし、辛い辛いと泣きます。あのときは、自分に関わる全ての人が敵に思えました。直属の上司でさえ、敵に見えました。誰も助けてくれない、とあなたは泣くのです。毎日、朝起きた瞬間から鼓動が早くなり、出勤時間までの地獄を耐えるのです。

それでも、頑張ったこともありました。あなたは最初の本当の病欠を除いて、ただの一度も、休むことはありませんでした。遅刻も早退もありませんでした。まるで裁判にかけられているかのような週1のミーティングも、開始までゲロ吐きそうになりながら毎週自分で開催していました。あなたの真面目さは、一応こんなところで、活きたみたいです。

そして、あなたは限界を迎えて、会社を辞めてしまいます。辞める時は、思っているより多く、あなたを惜しんでくれる人が現れます。ただあなたの辞める気持ちが揺らぐことは最後までありませんでした。

以上です。がっかりしましたか。申し訳ないです。もう少し頑張ればよかったでしょうか。もう終わったことなので許してください。

許してもらえるかわかりませんが、こんな日々を振り返って、良い気づきが2つあるんです。話していいでしょうか。

まず1つ目は、ありきたりですが、友人というものの大切さに気付くんです。私は、この1年弱、思っているよりたくさんの「孤独」を感じました。もちろん、悩みを話せる人がいない、すぐにご飯に行けるような人がいない、という大きな環境面の問題もありましたが、例えば、重いものを引きずりながら帰ると、これを助けてくれる家族や、恋人、友人も私にはいないのか。と思ったし、買い物にでかけても、1人の人より、2人でいる人たちのほうがよく見えて、自分との違いにへこんだりしました。東京は独り身に優しいといったのは誰ですか。きっと、そう思う人は1人じゃない環境も持っているからこそ、そう思うのかもしれません。

私は、薄情なことに、地元にいたときは「孤独感」を持ったことはほとんどありません。むしろ、誘われても断ってしまうこともありました。1人でいるほうが楽しい、と思っていました。本当に、勘違い野郎です。あの時は、ありがたいことに1人じゃない環境を持っていたから、1人という環境を選択できただけ。私は1人”が”好きなのではなく、1人”も”好き、というだけです。

別に1人”が”好きなのではない私は、こうして友人のありがたさにやっと気づいていきます。

東京にいる友人は概ね家庭を持っていて、気軽に遊べるほど暇ではなかったと思いますが、それでも、私をランチに誘ってくれたり、クリスマスパーティに参加したり、夜一緒にお酒を飲みにいってくれました。このありがたさを、今まで悠々と受け取っていた私を、本当に馬鹿な奴だと思います。話を聞いてくれるあなた、気にかけて連絡してくれるあなた、笑ってくれるあなたを、どうしてもっと大事にできなかったんだろう。今は心から大切にしたいと思っています。

そして地元にいる友人もそう。地獄の日々を耐えることに精一杯で、誰にも連絡できない私に、そっちはどうか?と連絡をくれるあなた。変わらず miss youと言ってくれるあなた。「あなたが大丈夫なことはわかっているけど、いつも私たちはあなたのことを思っているよ」と伝えてくれるあなた。私にはこんなに大切にしなければならない友人がいるのに、それを今やっと思い知ったんです。かわいそうな奴ですが、未来の自分が後悔する前に、今気づくことができてよかったと、思わせてほしいです。

2つ目。経験を積むということは痛みが伴うのだとわかったことです。私はいつも「余裕のある大人になりたい」「経験豊富なかっこいい大人になりたい」という理想がありました。上京したいと思った元々の理由は、地元以外に住んだ経験を積みたい、そこで新しい何かに挑戦したい、という気持ちからです。でも私は、その経験を積むには、新しく挑戦するには、苦労も失敗もあることが全く想像できていませんでした。キラキラした部分だけ見て走ってきたんです。むしろ、失敗という言葉ですら、キラキラしたものに見えていたのかもしれません。

実際、この1年弱、挫折と失敗しかしてきていないような気がしますが、そのどれもが本当に泣くほど辛かった。だけど、それでわかったこともある。これが、経験。

過去をもう1度振り返ると、私は失敗するのが何より嫌いだったんだなと思います。だから、自分で決めれないことが多すぎました。誰の人生を生きているんだろう、と初めて痛感しました。

思えば、私の姉は意志が強く、それこそ「自分で決める」を貫き通しているような人です。だからこそ、小さい時から両親を困らせることも多く、その光景を見た私は、自分はいい子であろうとしてしまいました。失敗をしたくないから、誰かの意見を聞いて、それを選ぶことによって失敗を回避しようとしていたんです。失敗したくないから、挑戦もしないんです。

そうやって選ぶことを誰かに任せて、失敗するくらいなら今のままで十分と思ってやってきたからこそ、本当に1人の状態になったときに、決められない自分の情けなさ、どうしようどうしようと悩んで眠れない夜を過ごす自分の弱さが苦しかった。だけど、この時間は、きっと大切なんだろうとも思います。自分で決める、決めた結果を受け止める、そういう練習が、私にはこれから人の二倍も三倍も必要なんだろうと思います。

私は、1人で生きていける、と思っていたんです。本当に、つい最近まで。でも、1人で生きていくことは、かなり、難しい。それこそ、ありとあらゆる経験を積んだ人にしかできないんじゃないかとさえ思います。

これが、私のいまです。

最後に、未来の自分へ書き残します。未来の自分、あなたは、過去、感じたことのない感情をたくさんもって、人生の絶望と呼べる時間も過ごしました。後先考えず、会社も辞めてしまいます。真面目を貫いてきたあなたにとっては、考えたくない未来の道を作ってしまいます。

でも、そこで気づいたこと、抱いた感情は、あなたの人生にとって最も大切なことだと思っています。世界を少し知った時間。自信を無くしたけど、自信がついた、そういう時間。それは、きっと未来のあなたの生き方に大きく影響を与えているはずです。そうであってほしいです。

最近、改めて気づいたんですけど、人生って、1回なんですよね。2回も3回もなくて、1回なんですよね。たったの1回。そう思うと、何が正解か、誰にもわからないし、未来の誰かが私みたいな存在の人生を振り返って採点してくれるわけでもないんですよね。

ならば、もっと楽しんでいいのではないか。私の人生、やっと、私の手に戻ってきた私の人生、しかも1回きりの。自分で決めて、自分で楽しくしていって、自分だけの道を歩んでいいわけです。

今まで、自分らしく生きるとか、楽しく生きるとか、簡単に理想は言ってきたわけですが、やっとその基礎ができた気がします。今までは準備不足で夢を見ていただけみたいです。

今際の国のアリスで、ミラも言ってました。「人生はゲームみたいなもの。もっと楽しみなさい」って。

そうしてみることにします。


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