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ASD当事者3名と話してみた感想

少し前、Twitterのスペースにお邪魔してASD当事者(?)3名とお話しさせていただきました。今回は、その時に思ったことや感じたことを書き起こしてみました。ほとんど雑記ですので、あまり突っ込まないでください。

※スペースとは、Twitter上で複数人が会話できるクラブハウスのような機能です。


感想①「え、仲良し3人組だよね?」

スピーカー(話す人)は私を含め4名、うち3名は発達当事者。私は一応定型側。つまりアウェー。

その他リスナー(聞く人)もおそらくほとんど発達当事者と思しき中、会話を始めてすぐに感じたのが、「この3人、仲良し3人組だよね?」でした。

なぜかというと、めちゃめちゃ親しそうに話していたから。

実際仲がいいのだとは思いますが(知らんけど)、途中、彼らの間で「話すの初めてだよね」的な会話があったような気がします。「うそやろマジで?」って感じ。「初会話でその調子なの?」って。

つまりこれが噂に聞く「発達の距離感の不自然さ」なのかもしれません。そして彼らはあたかも口裏を合わせたかのように、私の(軸のないフワフワとした)話に次から次へとツッコミをいれてくれやがるのでした。彼らの足並みがすげぇ揃っているように感じたのが印象的。法廷で、自己弁護のため破綻した理屈を場当たり的に並べ立ててたら、検察官にしっかり詰められた被疑者みたいな心境(笑)。

あるいは水洗便所の中で「ピエールマルコリーニ!」って叫んでるのに、しっかり流されるうんこみたいな気持ちです。

もし私があっち側の一人なら、いわゆる場の空気を読んで定型(私)に形式的に理解を示しつつ、彼(私)が話しやすいよう調停役に回ったでしょう。「場のバランスを整える」=「気をつかう」=「空気を読む」という定型の必殺技を炸裂させると思います。

しかし当の現場には調停役がおらず、私もそこが法廷(あるいは便器)だと知らずに参入したため、結果ボコボコにされたのでした。文化違いすぎやろ、うける(笑)。

とはいえ、決して印象が悪かったわけではありません。

あそこまでざっくばらんに話せた方が、むしろ気持ちいいんじゃないかと思います。そして、まどろっこしい道草をせず最短で結論まで行けるはず。つまり合理的。

途中、私は「あれ?これって仕事で商談や会議する時みたいな姿勢にスイッチした方がええ?」と思いました。しなかったけど。

たぶんそれだったらもっと円滑な対話ができたのだと思います。私も特に何も考えず、なんとなく参加してみた感じでしたので、対策も気構えも何もありませんでした。あえてフラットで話してみようという気持ちも。

「寿司食べたいなぁ」と思ってフラッとすきやばし次郎に入っちゃった感。しかも普通なら「予約してから来て」と言われるところ、すんなりカウンターに通されちゃったわよね。仕事内容とお会計を見てびっくりするパティーン。

これで「ふざけんな!」となるか、それとも「いい勉強になった」と感じるかは個々の性格や資質orステージの問題だと思います。私は後者でした。

感想②「まじめか!」

議題は途中から、私が構想している発達支援のビジネスモデルについてへと移行しました。この辺で私の意見が的を射なかったため、彼らは不満だったようです。

実際私は十分に説明できませんでした。理由は、設計図はあれどプレゼン資料を用意していなかったため。「発達障害」というセンシティブな内容ということもあり、言葉選びにも苦労しました。あまりに率直な言葉は適切でないと思ったからです。たとえば「発達障害者はタスク管理が苦手な人が多いようだから、そこはシステムで整備するのが妥当」と言うにしても、私としては「プライベートの場で当事者相手にそれ言う?」的な抵抗があります。即興で正しい言葉を即座に選べない私の能力不足も。

つまりこちらとしては「定型から発達にダメ出しされた」みたいな「マジョリティーの苦情」の空気にはしたくないわけです。感情や物差しの問題でしょうね。いかにも定型的な思考なんだろうなと思いました。「お前らのここ、ダメだよね」って基本的に失礼じゃん笑

ところが彼らに言わせれば、「そうやって濁す方が不誠実」とのこと。

確かに彼らの言い分もよくわかるのです。

客観である以上、失礼ではないかもしれない。

でも客観って結局は主観なのですよ。特にこのトピックにおいては。

私としては単に、初めて話す方々をお相手に無難な言葉を選択せざるを得なかった──というところでしょうか。要点へ明確に言及しない政治家みたいな歯がゆさがあったと思いますし、その自覚もあります。

私の煮え切らない態度に「いや自分らはアスペだって明言してんじゃん、何で信じないの」と言われるかもですが、そこはまぁ追々。いわゆる信頼関係ってやつです。さすがに私は初めて話す相手にそうはブッ込めません。

彼らの社会の中で逆アスペ化するという貴重な体験ができたと思います。

皮肉とかでなくマジでいい経験でした。

感想③「自分は予想以上に定型&情緒型だった」

私がスペースにお邪魔すると、リスナーがごそごそっと離脱したらしいです。スペース主いわく「たぶんあなたの話し方が生理的に受け付けない」とのこと。

いやちょっと待て、話し方が生理的に無理って初めて言われたわ(笑)。

まぁ、これまで出会った人間の中には、私の話し方やパーソナリティが苦手という人が一定数いたはずです。特性関わらず人には波長や相性がありますから。

一般的には相手に気をつかって「あなたが生理的に無理」と、面と向かって言いませんよね。実際私は初対面の人から好感を持たれるようなタイプではありませんから、わからないでもない。

しかし、それにしても彼らに嫌われる理由がよくわからなかったため、理由を訊いてみました。すると意外にも彼らもそれを言語化するのは難しいようで(あるいは気をつかってくれた?)、「いわゆる定型的な話し方が無理なんだと思う」に留まりました。

これはちょっと私にはよくわからない感覚です。

たとえば発達には、「グフフ……」的な話し方とか笑い方をする個性的な人がいますでしょ。定型側からするとそういう振る舞いっていわゆる「気持ち悪い」の類だと思うんですが、相対的にはそんな感じなんでしょうかね。

いずれにせよ、私は自分で思う以上に定型っぽさが強く、しかも「情緒的である」ということに改めて気付かされました。つまり、日ごろから情緒的なコミュニケーションをめっちゃしているという再確認。

ある程度自覚していたものの、彼らと話して自分は情緒コミュニケーションが骨の髄まで沁みついていることをはっきり感じた。「アスペ相手に情緒的な交流を試みているなう!」と心で叫んだわ(笑)。

同時に自分の論理展開の弱さも痛感したのでした。

感想④「コミュ強じゃん」

これは私の偏見や先入観があるかもしれませんが、発達障害者ってどちらかというとコミュ障な人が多い印象です。しかしお話ししたうち少なくとも2名の方は、むしろ「コミュ強じゃね?」という印象でした。

語彙が豊富で話も滑らか。友好的で物腰穏やか。

「落ち着いている」という印象です。

そしておそらく私に対しそこそこ気をつかってくださっていたはず。ささいな気づかいが嬉しかったりしましたが、それに対しもし私が「アスペなのになんで俺に気ぃつかってんの?むしろきしょいわ」とか言ったらどういう反応があるのか少し興味があります。

定型だったら「はぁ!?なにその言い方……」と不快指数満点案件ですが、彼らは「自分でもきしょいwもうやめますwww」とか言って流すかもしれません。

この辺の思考回路や感受性の違いにはかなり興味あります。ヘタしたらこのナイーブな部分のルールさえはっきりしたら、解決される問題って結構あるんじゃないの?と思うくらいには。

感想⑤「とにかく合わない」

特に私のような情緒優先型人間には、彼らのようなタイプが絶望的に合わないと感じました。

「あなたは発達と関わらない方がいい」と言われましたし、私もそう思います。そのくらい合わない笑。

念のため言っておくと、私は必ずしも「合わない=嫌い」というわけではありません。というかTwitterでも相互フォローさせてもらってますし、私は基本的に彼らに対し好意&敬意(と好奇心)を持っています。彼らもそうだと信じています。

それを前提として、改めて「合わない」と感じました。

「なんで合わないんだろう?」を自分視点で考えてみたところ、私は普段の交流において、「相手を情緒的に気持ちよくさせる」を視野に入れながら話していることに気付きました。

おそらくこれが定型的な基本性質なのかなと。

事実の追求の前に、「自分の発言で相手がどういう気持ちになるか」を考えて発言してるんですよね。感情的に調和しようとしている。これまで仕事では割り切って理論展開していたつもりですが、よく考えると仕事でも相手の情緒にコミットしてましたわ。あまり意識していませんでしたが、自分が無意識的にそこをすごく大切にする価値観を持っている──ということを再認識しました。私が商談で成功したり自分に有利に展開したりしやすいのも、結局はここだったんだと思います。定型は情緒的に気持ちよくなったら妥協しやすい──ってことでしょうね。私自身もそれやられたらイチコロなのかもしれません。

そう考えると、定型って理論的にはかなり雑なんだけど、情緒的にはかなり繊細だよなぁ。彼らを通して、こちらの実態があらわになる感じが本当に面白いです。

商談や交渉の場でうまい料理とうまい酒が有効なのも原則的にはこれと同じ原理でしょうね。「定型ってバカなん?」と彼らは思うかもしれません。でもここ重要なのよなぁ。たぶんシェアが難しいところ笑 「なぜそれが重要なのか」を説明できない脆弱さよ。私としても「それ普通じゃん」で済ませるのでなく、そのメカニズムを解剖してみたい欲求があります。

まぁとにかく、ですから私は論理優先の彼らとは根本的に合いません。彼らを情緒的に気持ちよくさせる道理が彼らにはありませんし、私が理屈だけで対話する道理が私自身にないから。

これ、めちゃくちゃ面白いと感じるのは私だけかしら?

同じ人間なのに、価値観や考え方や反応がこうも違う。

多様性の受容とかそういう大義抜きで、純粋に「人間ってユニーク過ぎておもろくない?」というのが率直な感想です。

場合によって、彼らとはとても有意義な議論ができると思います。相互理解が大切ですが、この場合に限っていえば、私が腹をくくればいいだけの問題。目的によっては相互理解なんて必要ないとすら。私が彼らを納得させる理論を用意すればいいだけの話でもあります。言うまでもなくTwitterを通しての友人(と呼んで良い?)だからであって、実際の職場や結婚生活などにおいてはまた別だとは思いますが。

彼らと話して、相対的に自分や自分と似た属性にある人達の話法への造詣が少し深まった気がします。

そして欲を言うなら、彼らにはできるだけ肯定的な枕詞を使って欲しいかな、と思います。たまに癪に障るので笑

とはいえ、たぶん彼らに順応して受け入れるの私はそんなに苦労しないと思う。現時点でも私はそれなりに理解ある方だと自己評価してますが、今あるのは知識と寛容さだけで、実践的な技術と経験が足りないかなぁと思う次第です。

そして、彼らが私を生理的に嫌悪する可能性があるのも問題である笑

感想⑥「決めつけが過ぎる」

私自身のことに対しても他のことに対しても、「決めつけ(思い込み)が過ぎる」と感じました。「あなたと話して自分はこう感じたから実際こうなんでしょ?」的な。世の中、断定できることってそうはありませんよね。しかも極めて断片的な情報しか得られないSNSで笑

この項は便宜上具体的には言及しませんが、とりあえずクリティカルシンキングして欲しいなと。「お前はこう」「あれはこう」と決めつけてかかる前に、それ以外の可能性に思いを馳せて自分の中で思考実験しながらいくつかのルートを用意してもらいたいと感じます。でなきゃ大局的な議論ができないので。

逆にいうと、彼らが一度「こう」と思ってしまったなら、それを覆す理論を提供しないと、たとえ歪んだ「こう」であっても、彼らの中ではいつまでも「こう」が事実なのかもしれない。

たとえて言うなら、「あいつはケーキを買ったから甘党なんだ」みたいな。

甘党じゃないかもしれないし、自分で食べるのでなく家族や職場や取引先へのお土産かもしれないし、ケーキを買ったからといって甘党とは言えないよねって。そこで「甘党ですよね!」と詰められても、「うわーなんだろ、この人に甘党じゃないことを説明する意味や義理もないし、甘党ってことでいっか」ってなっちゃう。

つまり弁明の価値を感じないわけです。甘党って思われても別に問題ないもの。

でも、これがもし「あそこのお店でケーキ買ってましたけど甘党なんですか?」と訊かれたら、「いえお土産です。私普段、甘いもの食べないんです」とスムーズに返答できます。

つまりは言い方なのかな?

でも言い方って、その人の思考が表れるものだと思うのよね。

結果的に「言い方」を通じて、その奥にある「決めつけ」「思い込み」の思考にうんざりする人が多いのかもしれないな、と。

これって可能性の遊びを持たせない一点集中型の思考でもあると思います。つまり「ハマれば結論に早くコミットしやすい思考」ってこと。

一長一短でしょうね。

仕事や人生の悩みなど命題があれば、とても頼もしい人々だと思う。

実際私も、もし早急に解決しなければならず、しかも自分の知恵だけではどうしようもない問題と直面したら、彼らのような人に相談したいかも。

プライベートでは別にいいかな笑

でも、好奇心からTwitterでもそれなりに関わりたいなぁと思うのは、たぶん私が根本的に彼らのユニークさが好きだからなんだと思います。

さいごに

色々書きましたが、言葉足らずなどもあり誤解を招くこともあるかもしれません。勢いでザッと書いているところあるんで。雑記ですからご勘弁を。

とはいえ、彼らとの対話は少なくとも私にとっては有意義でした。「なるほどなぁ」と思ったり「うざっ」と思ったり笑

単純に楽しかった。

アスペルブルグ、たまにお出かけしたい。歓迎されるかどうかはともかく笑

ちょっとした疑問があります。

もし彼ら(お話しした3名)がシェアハウスや家庭などで生活をともにしたらうまくいくのか、それともうまくいかないのか。気になるなぁ。

一見、ばっちり足並みが揃っているように見える彼らも、仕事や家庭など実生活をともにするとどうなるんだろう。歯車がかみ合うのか、ずれるのか。

もしご本人方、こちらをお読みになっていれば、気が向いたらTwitterで所見お聞かせください笑

最後に、私はこの時「ドアスペに混じったらボコボコにされた笑」とTweetしましたが、

「ドアスペ」なんてそんな言葉よー使いません。

彼らへの親愛を表した表現です。

「蔑視」でなく「親愛」ってこと。いちいち説明すんのも無粋でしんどいんですが、そのへん誤解なきよう。

おやすみ!

アスペルブルグ2回目↓


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