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発達障害者の楽園③

発達障害者と共生する方法をずっと考えています。そして最近、ようやくその答えに近いイメージができあがってきました。定型と発達が共存するにはどうすればいいのか。今回でシリーズ最終回です。

発達障害者の楽園①
発達障害者の楽園②

前回まで、定型と発達が共存する上での問題について考察しました。両者共存の根本的な問題は「責任の負担」にあるというのが私の考えです。そのため「責任緩和型の社会(組織)を作るのが共存の道」である──というのが前回までのお話。

①責任が求められない社会を築けるか?
②チームワーク(集団行動)を苦手とする発達にどう対応するか?
③組織として自立できるか?

以上が責任緩和社会の実現に向けた課題です。今回はこうした組織を作るにあたって直面する上記の課題をどうやってクリアするかについてお話しします。

①責任が求められない社会を築けるか?

責任が生じない仕事は民間ではほとんどあり得ません。そのためどうしても最低限の責任が発生します。しかし現場にそのプレッシャーが圧し掛からないようにすることはできるはずです。つまり個々への負担を減らすシステム作りです。

そもそも発達は、各々の得意に特化した業務であれば問題なく機能します。物忘れがひどい人は他の人にスケジュールを管理してもらい、得意なことに専念すればいいだけの話。これをうまくやるのが、一話目からお話ししている人事やシステムの合理的な整備です。

各々が自分の仕事を果たせば自ずと成果があがるモデルであれば、組織として十分に成立します。しかし定型と発達の共存を考えたとき、「チームプレイが求められないこと」と「失敗しても責任が問われないこと」が課題条件になります。

チームプレイについては次項でお話しするとして、「失敗しても責任が問われない」というのもやはり人事とシステムで対応します。たとえば一人が失敗しても代打として配置されている人員がいれば業務は停滞することなく進行できます。失敗が続くようならその役割に適正がないということなので、柔軟に配置変更すればいいでしょう。ある程度ブラッシュアップされれば人員が適材適所で適正化され、ロスを最小限に抑えることができます。もちろん「ロスありき」でのぞむのが重要です。

要するに責任というのは「失敗したら誰かが迷惑を被る状態」から発生するわけですから、失敗しても誰も迷惑しないシステムを作ればいいわけです。マクロで見ると確かにチームプレイなのですが、ミクロでは相互の干渉や協力、連携や責任の共有が求められないという点において、相互不干渉型チームワークという新しい概念といえるかもしれません。

②チームワーク(集団行動)を苦手とする発達にどう対応するか?

チームというのは、仲間同士で情報をシェア&交換しながら相互補助して一つの目標達成を目指すものです。まずここに求められる「情報のシェア」と「情報交換」そして「相互補助」を組織から除外します。社員には各々の仕事に集中してもらい、成果物だけをあげてもらう形です。

もちろん統括する人物が必要で、統括者が成果物納入などの窓口になります。これを担当するのは組織のトップつまり代表取締役やそれに代わる者が理想的です。ヒエラルキーの発生を避けるためです。

具体的な策が見えずよくわからないという人もいるでしょう。

もう少し具体的な話をしますね。

たとえばこれを実践するにあたり、私は「挨拶」と「始業および終業時刻」を廃止したいと思っています。

出社一番の「おはようございます!」や退社時の「お先に失礼します!」「お疲れさまでした!」は不要とみなし原則禁止。実験的ではありますが、これで発達の中には出社退社時のプレッシャーやストレスが軽減される人が一定数いるはず。会社へのネガティブな反応を一つ解消できるわけです。

次に「始業および終業時刻」も廃止します。要するに「大体このくらいの時間にきて帰って」ということで、有給も気兼ねなく使えるようなムードを維持します。勤怠管理はタイムカードということになるでしょう。

さらに「ほうれんそう」や「PDCA」も最小限で採用し、原則として排除。成果報告や質問なども、できるだけチャットで行ったりワンクリックで実行できる社内システムを構築したりできれば理想的です。

統括者はチームの管理というより個々の管理を目的とし、いわゆるカウンセラーやアドバイザー的な立ち位置で各々の業務に対応します。

そしてこれらを実現するのに必要なのが、ホラクラシー型組織の構築です。

ホラクラシー組織とは、役職などが存在せずすべての社員が平等な組織体系のことです。報酬なども平等で役職による手当などはありません。基礎給与ありきの実質的な成果型賃金制度です。

さて、チームプレイが必要ない環境が形になりましたが、社内連絡が必要な場合はあるはずです。そういう場合もすべてチャットで完結させます。

仕事中、社内の仲間とチャットで盛り上がってしまい、延々と雑談し続けるなんてこともあるかもしれません。ADHDなどはその線がかなり強そうですが、それも許される環境です。「しまった!今日は何もできなかった!」と後悔しても「明日ちゃんとやろう」とセルフケアできる余裕のある環境であることが大切です。逆にいえば周りから指導が入らない分、効率は悪いでしょう。効率をとるか、それとも責任の緩和をとるか。このモデルは完全に後者です。

さらにさぼり癖が身について成果をあげられなくなると、報酬が給与に反映されるシステムですから、選択的に自分らしく働くことができます。仕事をさぼって最低限の給与をもらうのもいいですし、たくさん頑張って正当な報酬を手にするのも自由。

しかしいわゆる「給与泥棒!」と怒られるレベルでさぼる社員は、統括者から呼び出されて直接注意されます。少なくとも社員の間にヒエラルキーは生まれません。統括者は嫌われるでしょうけれど。

もちろん飲み会や社内イベントなどのレクリエーションもなし。定型からすると少しさみしいですが、何かやるにしても任意参加がいいでしょうね。

③組織として自立できるか?

組織として自立する条件は、恒常的に利益をあげられるかどうかです。社内システムや労働環境よりも商材が重要になってきます。そのためマーケットに強い商材と開発力があれば問題はないと見ています。

組織を維持するには組織のシステムより、経営戦略の方が重要だと私は考えています。なので詳細については割愛しますが、組織として自立するのに必要なのは「商材と開発力と経営」が軸になる──とだけ申しあげておきます。

実際に実現できるのか?

ザクッと骨子をお話ししただけですが、定型と発達の社会的共存に対する私の考えは発達障害者の楽園①発達障害者の楽園②、そして本項を通してお伝えしてきました。

とはいえこれはもちろん机上の空論ですから、実践した場合にどんな現実的な障害と直面するか、慎重に思考実験してみましょう。

まず、この会社にはいわゆる常識的な規律がありません。出社退社も任意で時間を決められ、コミュニケーションも必要ない。もちろん活気など生まれないでしょうから、ムードに影響を受けやすい定型にはあまり居心地のいい場所でないことが想像できます。

また、よくも悪くも「自分を甘やかしやすい環境」ですので、自堕落的になる人員が一定数生まれることが予想されます。

これを解決するのに必要なのが「規律」と「コミュニケーション」では本末転倒。ここで効いてくるのが成果型賃金制度です。

要するに「成果に応じて報酬が決定される制度」のことですね。

この制度は社員のモチベーションを高めるのに効果的だといわれていますが、一方で職場の人間関係によってはチーム全体のパフォーマンスを下げかねないと危険視される場合もあります。

しかしこれまでお話ししたように「そもそも人間関係が求められない職場」であることと「選択的に成果型賃金制度を利用できる」という体系が基礎にありますので、成果型賃金制度の「チームの人間関係が悪いと逆効果」というデメリットとリスクは自然とスポイルされるわけです。

私は組織あるいはチームワークの新しい形として、この「相互不干渉型チームワーク」に希望を見出しています。いつかこれを実現したいと思っていますし、そのためにすでに商材の開発に取り組んでいます。

とはいえ私はカサンドラになって落ちぶれた身。先立つ物がなければ何もできません。商品開発にも案外お金がかかります。

地道に少しずつ進んでいますが、行動のスピードはあげていきたいなぁ。

頑張ります。


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