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主日礼拝説教の感想

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主日礼拝に、私の所属教会・竪琴音色キリスト教会で語られている説教の感想をまとめたものです。 あくまで、私の感想なので、主観が入っています。 是非、読んでみてください。
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記事一覧

2024年3月31日 復活の主日の講解説教の感想

2024年3月31日 復活の主日の講解説教の感想

説教題「すべてのものを造られたのは神」
ヘブル人への手紙3章4節
新改訳2017

以下は、説教箇所です。

本文から、家は単数形のギリシャ語が使われていて、これは教会のことを表します。
「すべてのものを造られたのは神」という言葉から、この箇所は世界の創造に関して言及しているとも考えられます。

今回は神の家(=教会)のことですが、この中で神の力で造られていないものは何一つないということ、自分たち

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2023年10月28日 主日礼拝説教の感想

2023年10月28日 主日礼拝説教の感想

説教題「神が確かにあなたがたの中におられる」
ヘブル人への手紙1章10-12節
新改訳聖書2017

今日の主日礼拝の説教では、「自分自身が絶対正義だと思って人を裁く、しかし、人を裁く自分自身が神に裁かれている」という事実を示した言葉が心に残りました。

それで、突然不安になったのです。
「私は人を裁いていないだろうか?」と。

過去を振り返ってみた時に、私は自分の怒りをコントロール出来ず、明らか

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2023年9月2日 主日礼拝説教の感想

2023年9月2日 主日礼拝説教の感想

説教題「時の終わり②ー世界の創造」
ヘブル人への手紙1章1-2節

万物の相続者

今回はヘブル書から語られ、次の聖書箇所を釈義と共に引用されていました。

この主語の「わたし」は主イエス・キリストのことです。
引用箇所を読むと、創世記の世界の創造そのものが語られていると分かります。

天の父なる神様が世界を創造された時、主は父の傍らで、創造された「人」という存在を喜んでいました。

そして、主が

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2023年8月26日 主日礼拝説教の感想と交わり

2023年8月26日 主日礼拝説教の感想と交わり

説教題「時の終わり①ー神は語られた」
ヘブル人への手紙 1章1-2節

夏バテによる体調不良でなかなか主日礼拝の説教が書けていませんでした。

今回も、礼拝から2日後に感想を書くことになりました。
疲れでずっと眠りこけていました。
今、この記事を書いているこの時も睡魔に襲われています。
ですが、これは私たちの教会の説教の目的と交わりを書き記すために必要だと思ったので、寝る前に書きます。

私たちの

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2023年8月12日 主日礼拝説教の感想

2023年8月12日 主日礼拝説教の感想

説教題「あなたがたをかき乱す者たち」
ガラテヤ人への手紙 6章16節【新改訳2017】

今日の主日礼拝の説教で印象に残ったのは、ガラテヤ書6章15節の「新しい創造」という言葉の釈義でした。

新しい創造とはケニクティシス→「質的に新鮮な創造」という原文の意味で、そこからギリシャ語の2つの「新しさ」という言葉を教えられました。

①ケノス→「質的な新しさ」
②ネオス→「時間的な新しさ」

①は少し

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2023年8月5日 主日礼拝説教の感想

2023年8月5日 主日礼拝説教の感想

主日礼拝を終えての感想です。

私は何年も教会にいて、礼拝にも休まず参加して、いつも説教を聴いて、それでも分かっていないことがありました。

それは、説教の核が何たるかということです。

説教内のことですので、説教の核の詳細は書きません。
説教者の一番伝えたいことを私は汲み取ることが出来ず、説教の言葉に共感するだけの、キリスト信仰で学んだ新しい発見ではなく、自分の感情を交わりの中でシェアしていたと

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2023年7月29日 主日礼拝説教の感想

2023年7月29日 主日礼拝説教の感想

私はこの日の礼拝が始まる前に、一番大切にすべき人に、その人が一番傷付く言葉を言ってしまいました。
理由は、ただ私が不安になったからです。

私たちは、何か自分の思い通りにいかなかった時に何をしようとするかと言うと、「相手を変えよう」とします。
「相手にレッテルを貼り付けて、自分は被害者面をして、相手を責め立てます」。

私がその傷付く言葉を大切な人に言った時、その人は私に何も言い返しませんでした。

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2023年7月22日 主日礼拝説教の感想

2023年7月22日 主日礼拝説教の感想

礼拝の説教音源を何度も聞いていますが、やはり印象的なのは、「病の癒しの祈り」のくだりです。

私たちは神癒そのものを否定したりはしません。

しかし、私の所属教会の伝道者は生まれつき身体障害を持っていて、何度も他のクリスチャンから、「祈らせて」と頼んでもいないのに、癒しの祈りをされたそうな。

でも、今に至るまで、伝道者の身体障害や難病は癒やされていません。

私にはかつて、足の不自由な祖父がいた

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