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2024年9月1日 主日礼拝説教(ヘブル書5章12節)の感想① ー聖書と福音理解ー

今日はヘブル書5章11-14節、特に12節からの講解説教でした。
説教題は「信仰的理解力②———神が告げたことばの初歩」です。
そこから語られたことのメモの一部をまとめて、感想を折り合わせて書いていきます。

説教音源は以下のプラットフォームにて公開されています。

⬇️

Stand.fm

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本日語られたヘブル書5章12節の本文を引用します。

今回は文章が長くなるので、二つのテーマの語りと本文で三分割しています。

"あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。"

ヘブル人への手紙 5章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

さて、まずは本文に触れる前に私たちの教会で大切にされているものが何かを共有していきます。


①聖書と福音理解


キリスト者同士の交わりや教会の奉仕を先に考える人たちもいるという話は、私も聞いたことがあります。

しかし、信仰抜きの人間関係は不安定なものがあります。私たちは仲良くなりたくても、相手あってのことですし、人間関係は希薄になりやすいのです。
神様抜きの人間関係は、「勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手に復讐心を持つ」ような、側から見たら滑稽なものに見えます。

これは、私が体験した人間関係と同じでした。
私もキリスト者の友達が欲しいあまり、自分の思いでグイグイと仲良くしようとしてしまい、都合が悪くなったら勝手に落胆してしまうようなことをしてしまっていました。

ですが、人間関係の間にキリストの十字架という信仰が置かれた時に、相手のことが嫌いでも、許せないことがあっても、相手のために祈ることが出来るのです。
これが、人間関係の好き嫌いと、愛する愛さないの違いです。
「好き」と「愛する」、「嫌い」と「愛さない、愛せない」は別のものなのです。

奉仕も信仰が深まっていなければ、「神に与えられた行い」ではなく、「自分の頑張り」が入ってしまいます。
自分の力で頑張ってしまった時、後に続くのは、手痛い失敗や倒れてしまうことです。

前述した人間関係を作りたいという私自身の思いの中にも、相手のために奉仕をしたいというものがありました。
ですが、これはただの自己満足でしたし、その結果は自分も相手も傷付けてしまいました。
自分の信仰の分に応じた働きをしなければ、相手だけでなく、自分も傷付いてしまうのです。

ですが、交わりや奉仕で失敗したからと言って落ち込んでいるよりも、もっと私たちにはやるべきことがあります。

それが、聖書と福音理解なのです。

聖書を読むことは大事です。
でも、ただ読むだけではなくて、「キリストが私のために何をしてくれたのだろう?」ということを理解することが大切です。

その理解こそが、福音理解に繋がります。

神様が私たちを愛してくれたことと、己自身がどのような関係があるのかを証出来るように、私たちは教会から教えられる必要があります。

ですから、自分で聖書を読むことと、教会の説教で福音が語られ、それが自分の人生や生活にどのように適応出来るかを教えられることが
鍵となります。

では、信仰とは何か、何を得るのかというと、その答えは次の通りです。

"これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。"

ヨハネの福音書 20章31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

信じること、すなわち、信仰とは「いのちを得ること」であり、「神との関係を回復すること」なのです。
神を信じる者に命の息吹を吹き込んでくださいます。

自分たちにも、他の人たちにも、手が負えないやということを神様が愛を持って接してくださいます。

私自身も誰にも手が負えない部分があります。
生きていく中で傷付いたこと、欠けてしまった人格、受けることの出来なかったものがたくさんあります。

そのようなものが、キリストを信じることを通して、「聖書と福音理解」を通してもらっていけるのです。
だから、単に聖書を読む行為の目的を間違えて、知識を積み上げることだけに留まるべきではないのです。

聖書を読むことを通して、キリスト信仰がはっきりし、キリスト者同士の交わりで、キリストへと導く交わりを築き上げていくのです。


②キリスト者の交わり


"私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。"

ヨハネの手紙 第一 1章3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

教会共同体で交わることは、単なるお茶会とは異なります。
私たちの交わりは、キリストとの交わりに繋がります。

よって、交わる時はみことばの応酬になるのです。
神との交わりが明確になっているかどうかで、交わりのクオリティが変わります。

人と交わる時に信仰(みことば)の話が出来ないと悩むことはありませんか?

私はいつも悩んでいます。

私には、受けたみことばを生活に適用することが難しく、教えられたことを徒然と話すだけになったり、私の能力の問題で口で話すことが苦手で何も出てこないことがたくさんあります。
だから、学んだことを文章化して書く作業を私はするべきだと教えてもらいました。

ある時には、「説教聞けてないよね?」と指摘を受けたこともあります。
その時は、自分自身が説教を聞いた気になっていたことに気付いて、すぐにその指摘を認めて、次からはもっとみことばを聞く耳を持てるように祈り始めました。

交わりに入る時でも、「苦手だから交わりをしたくない」と言う必要はなくて、「苦手でも上手くいかなくても、何も分からなくても」、とにかく信仰の話をしていくことは、自分自身の信仰を深めることにも、相手の信仰を建て上げることにも役に立つことなのです。


③奉仕


聖書と福音理解と交わりを徹底した後には、奉仕が来ます。

信頼関係と愛の中で奉仕をしていきます。

"それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。"

ペテロの手紙 第一 4章10~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

自分に与えられた才能や賜物を総点検していって、マッピング化する作業は必要になってきます。

苦手を克服するのには時間がかかります。ですから、得意なところを伸ばしていくのが、賜物を生かす点で大切なことです。

一番手っ取り早いのは、一番得意なことを伸ばしていくことです。


私は、①、②の項目において、失敗したり上手くいかなかった経験があります。

だから、奉仕に関しても、自分が何が出来るのか分からなかったり、嫌になって、しまいには教会に反抗することもありました。

ですが、まず、聖書と福音理解を深めて、自分が失敗しても「イエス様はいつもしくじって、悔い改める私を見捨てない」ということを毎回教えられて、少しずつ失敗しても大丈夫なんだ、私は愛されているんだと確信をいただいています。
そして、交わりを通して、自分の良いところ、良くないところを他の人から教えてもらって、良いところを成長させていこうと話し合うことが出来ました。
これらの体験は私にとって、成長であり、大きな人生の糧となっています。

それから、奉仕において、今はnoteで説教の感想をまとめたり、礼拝に毎回参加することで、教会の建て上げに携わっています。

だから、再び始めたnoteの活動を体調だなんだと言ってサボることなく、キリストを信じるゆえに働いていきたいと思っています。


説教の感想②では、聖書の解釈と福音を伝えること、キリストの信仰を自己検証をしている人が共同識別をしているということを書いていきます。

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