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「因果応報」嫌いな四字熟語No.1

唐突だが、皆さん嫌いな言葉・熟語などはございますか?私は何といっても、「因果応報」という言葉が大の苦手です。この言葉を発する人間とは絶対に話が通じないと思っているし、この言葉を信じている人とは人類絶滅の日にだって握手できないと思います。

(ちなみに、好きな四字熟語は「慇懃無礼」です。アルバイトで接客を行う際に心がささくれだった時は、「お客様、先ほどは私の手違いでご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした!すぐ対応しますので、今しばらくお待ちいただくことは可能でしょうか!」「失礼いたします、お客様、(がばっとお辞儀)たいっへん申し訳ございません、こちら○○でございます。(もう一度お辞儀)失礼いたします!」などといったセリフを馬鹿みたいに無表情で早口言葉のように一瞬で口にする。コーヒーにミルクをつけ忘れたなどの些細なミスや間違いの際にこの謝り方をすると、お客さんは度肝を抜く。私は少しスカッとする)

なぜこの言葉が嫌いかというと、この言葉の中にとてつもなく大きな「エゴ」や「ルサンチマン」のようなものを感じるからだ。

例えば、バイトで社員がいないときに、ずっとスマホばかりいじって業務を放棄する男の子がいます。彼はMARCHの学生で顔もよくいわゆるイケてる一軍男子。一般的に言うと「今後、人生うまくやっていくんだろうな」ってやつです。(キャー、かっこうぃいーーーー♡アタシを抱いてェェェェン♡♡)

そういう人間がさぼっていて、一方私たち陰キャだけが働いていると、やっぱりちょっとモヤっとするわけですよ。それで心の中で「こんなことをしていると、あいつは店長に見つかって減給されるに違いない」とか「社会人になってああいうタイプは絶対にどこかで失敗するぞ」とか、思いたくなっちゃうわけです。

でも、実際社会でうまくやっていくのは、あーいう要領のよく、人に気に入られる人間であって、私のような「あいつだけに働かせておいてやれ」というような周囲から雑な扱いを受ける要領の悪い人間は、やはり会社でもどこのコミュニティでもうまくやれないのでしょう。

なのに、因果応報的に彼の不幸せを願ってしまう。これは私のエゴであり、陽キャに対する陰キャのルサンチマンです。もしこの状況を何とかしたいなら、周りに嫌われてでも彼に仕事をさせるか、店長に訴えてしかるべき対応をとってもらうか(私が店長に疎まれる可能性あり)、状況に甘んじて私だけが働くか、このどれかしかないんです。刺される覚悟で相手を刺しにいくか、刺されることを恐れ2人分の労働に甘んじるか。

こういう「悪いことをしたやつはそれ相応の罰を受けるべきで、真面目に仕事をしている人間は報いを受けるべきだ」と無意識に考えてしまったことに気付いたとき、私は自分を恥じました。私は人間のエゴが嫌いだからです。

結局、なぜ私がこのような考えを持ったのかというと、私も仕事が嫌いで、お(汚)客様の飲食なされたきったねえ汚物同然のきっしょく悪い食器やナプキンを片付ける行為(=労働)をできることならやりたくないからです。しかし私は自分の気持ちに嘘をついて、「やらないと店長に見つかったら怒られるから」「バイトを続けるには仕事を真面目にするしかないから」仕事をしているわけです。つまり、仕事をさぼっているあの男の子のほうが自分に正直だし、勇敢にも店長に怒られるリスクを負えるわけですよね。彼は彼なりに、リスクを負ってさぼっているわけです。一方、私はリスクを負うことができない、臆病者です。だから自分に嘘をついて、労働するしか道はないのだ。

その彼の美徳(自分に対する素直さ、リスクを負える勇敢さ)を無視して、仕事をさぼっているというただその一点だけで私は彼を心の中で責めていたのです。その男の子も私も「仕事をしたくない」という不真面目で真っ当な感情を抱いているという点では同じですが、彼にあって私になかったのは、その勇気と素直さです。こう考えると、実はいやいや仕事をしている私の方がもっと醜く見下げ果てた心根を持った人間だということが分かったのでした。

因果応報にはルサンチマン的エゴがまとわりついており、そのため私はこの言葉を嫌うのだ。

また別の側面を考えてみましょう。彼は陽キャ男子で、友達もたくさんいて彼女もいます。外食や外出やショッピングで彼はバイトで得た賃金を使い、さぞや経済を回し周りの人間を幸せにしていることでしょう。
一方で私は彼氏はおろか友達も一人もおらず、家に引きこもって図書館の本を読み節約、余った金はすべて投資をしています。ほぼ経済を回さず、むしろ資本家側に自分のお金を直接ぶち込んでいるという点で、資本主義の悪い側面を増長させてさえいるのです。

こう考えると、経済的側面でみれば悪は私であり、善は彼です。私は消費をしないのでお店を活性化させません、友達もいないので周りの人々を幸せにすることは出来ません。しかし彼は、お店を潤わせ周りの人間と共に幸せを獲得・共有しています。どっちが立派でどっちが自己中心的な悪でしょうか。小学生でもわかります。少し視点を変えるだけで、報いを受けるのは彼で、私は罰を受ける側に成り下がってしまったのです。

見方を変えると、善悪の尺度は変化してゆき、決して一人の人間が常に悪/善であるということは言えないのです。だから、因果応報は一面的な物の見方しかできないバカな人間の信じる言葉なのです。

因果応報がいかに誤りを含み、一方的な暴力性を孕み、そして弱き者が自己努力を放棄し負け犬的に発言する際に使われるみじめで醜い熟語なのだということが理解できたでしょうか?

私はこの一連の思考を、陽キャ男子様が時給を発生させながら高貴なお姿でスマホをポチポチさせている傍ら、醜く肥え太った容姿で二酸化炭素を吐きながら「お前のこと誰が好きなん?」女子日本代表こと私は、お(汚)客様にお召し上がりになられるお食事を慇懃無礼に提供しながら「失礼いたします、お客様大変お待たせいたしました。こちら○○と○○でございます。お飲み物もあとでお持ちいたしますので、恐縮ですが今しばらくお待ちいただけますか、失礼いたしますー」と早口でやりながらお客様を呆然とさせることにいそしんでいたのであった。(完)



読み直してみたけど、たぶん私「死ぬのがいいわー」やね。まじで思考回路が一から十まで汚染されてる。神様ことお客様に対する終わってる態度もそうだし、目上の方(陽キャ男子)に対する冒涜もそう。もっと人様に対して敬意をもって接するべき。

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