情けないが、今日もあまり卒論が進まずだった。第三章を日曜までに終わらせることは無理だ。しかし、方向性は定まったと思う。 私の卒業研究対象では、1つ非常に盛んに議論されているテーマが存在するが、先行研究が多く、またそれらを十分に読み込めていなかったため、そのテーマを論じることは難しいと思い嫌厭していた。 しかし、第三章のテーマが見つからず、そして1つ色々な先行研究をさくっとまとめてくれている英語論文が見つかったため、それをじっくり読むことで他の論文読みをショートカットして、
ついに11月に入り、私の卒論も佳境に入りつつある。 今日は第二章の大改造を行い、第三章の英語参考文献の翻訳で終わった。ちょっと作業時間は少なかったので、反省だ。 昨日、卒論のために節約とダイエットは考えないようにするといったが、 やはり、健康とお金は私の人生で卒論よりも大きなテーマなので、 忙しくてストレスフルなときにも健康で経済的な人生を送る練習になると思い、続行することにした。 色々な本を読んだ結果、以下のような食生活がベストではないかと思い、普段は以下のようなルール
10月最終日。本来なら第三章まで終わっていて、あとは修正という形にしたかったのだが、やはりスケジューリングが甘かったようだ。まったくもって間に合わず、第二章の修正までで10月は終わりそうである。 しかし、これで落ち込んではいられない。寝ればやれるとわかったのだから、「眠くなったら寝る作戦」で最後までしがみつくしかない。 幸いにも文字数は第二章までで規定の字数に達しているので、問題ない。(むしろ減らせと先生から怒られている。しかし、多い分には受理不可とはならないそうなので、間に
10月30日。今日も今日とて卒論は進まなかった。 しかし、分かったことがある。私は睡眠時間をいっぱいとらないとやる気が出てこない、という非常に厄介な人間だということだ。 睡眠をアホほどとったので、最後2、3時間だけ集中して取り組むことができた。 時々不真面目大学生が「くーッ!徹夜して卒論終わらせたけど、キチ―ww」とか言って武勇伝みたく語っていることもあるが、私にはそれができない。 なにか重要な課題に取り組むときは、睡眠時間をいつもの10倍(誇張しすぎたか…)取らないとや
卒業ギリギリ限界大学生の卒論執筆日記2日目。 記録した方がやる気出るタイプなんで、色々記録していこうと思う。今日は第二章の修正。 10月27日はあまり修正が進まなかった。バイトと外食で時間を取られ、その後もだらだら時間を過ごしてしまった。反省だ。 それと、第二章の大工事中なのだが、色々な要素を詰め込みすぎて修正書きがすこぶる難しい。 説得力のある文章構成を考えるとは、こんなに難しいことなのか…何をどこで説明するかを考えるのは、私の苦手な作業のようだ。 きついが、今日中
タイトル通りである。卒論が進まねえ。日中はスマホをだらだらいじって、夜になって大慌てで執筆しようとし、メンタルブレイクを起こし、「卒論 不合格」でグーグル検索をかける日々が続いている。 ただいま第二章の大修整中で、第三章については何を書くかさえ検討がついていない。しかし、しょうがない。提出期限が迫っているため、もうやるしかないのだ。(ちなみにプロポーザルを出す出す詐欺している。先生、私が無能なばかりにあきれさせてすみません…4か月遅れですが、11月には出します。) 私の卒
近年、大学生もNISAを始める人が多くなったと聞く。そこで、一般庶民の家庭からでた大学生って、資産運用どんな感じでやってるのかな?と気になる方もいると思う。…おるかな?でも、人の資産状況って、案外気になる人もいるんじゃないかな?と踏んだ私は、いっちょ自分の資産運用のモチベ維持のためにも、資産公開してみよう、と思った次第である。 まず、私のスペックから。私大・東京一人暮らし、仕送りは生活費のみ(娯楽費は自分で払う)、大学入学時貯金50万円、バイト月9~10万円の一般的な大学生
褒められるのが嫌いだ。もっと言うと、接客業でお客様から頂く「お褒めの言葉」にこの上ない嫌悪を覚える。 たしかに、日本の場合、お客様の立場は上で、我々従業員の立場ははるか下だ。 従業員は大抵の場合やりたくもない仕事を「お金」のために渋々やっている。 そして、日本人に限ったことではないかもしれないが、お客様は非常にわがままで面倒くさく、本当に嫌悪を催す輩が多すぎる。 実生活で会えば確実に自分より劣っている奴らに、資本主義のシステム上仕方がなく、我々従業員は接客してやっているの
卒論を書いていると、ふと村上春樹のことを考えてしまった。村上春樹の文体は読みやすい。短いセンテンスに、分かりやすい語彙。それでいて、そこに稚拙さを感じさせない、都会風な雰囲気とセンスの良さ。ウイスキーやクラシック、ジャズといった、作品を飾る大人な趣味。お勉強しかしてこなかった高校生や大学生がいかにも好みそうな、知的でちょっと大人な世界を見せてくれるのが村上春樹作品である。 しかし、村上春樹の作品は非常につっこみどころが多い。 まず、主人公はいきなりセックスしすぎだ。やけに
生きるのってしんどいなって、感じることが多い。 wordの設定がなぜか変になって修復に時間がかかったり、バイトを寝坊して、次のシフトから「起きれるかな?」とびびってよく眠れなかったり、卒業できるか不安だったり、無理やり大量の初対面の人と自己紹介しあってまともに話せなくて後悔したり、バイト嫌なのにシフト詰められたり、色々。 もう誰ともかかわらず一人でずっと、何にも追われず過ごしたい。 ちゃんとバイトもしてるけど、ちゃんと学校も行ってるけど、でももう本当は誰とも関わりたくない
日本人のコメに対する執着は、なんだか常軌を逸していると思わざるを得ない。 先日のニュースで、新米の購入に1時間ほどの大行列ができたのだという。お値段なんと、5kg3000円程度。高いし、米の購入に1時間も並ぶなんて、なんて日本人は米好きなのだ… かくいう私も米、もっと正確に言うなら白米で育ってきた人間だから、多くの日本人のように米不足や米の価格高騰に悩み、そして新米の到来を待ち望んでもいいはずだが、幸い(不幸にも?)私は白米に対してそこまでの執念を抱けない。 旅館などで食
イライラしたとき、あなたは何をしますか? 接客業アルバイトでイライラすることの多い貧乏大学生からのベストアンサーは、ずばり「美術館へいく」です。 もしかして、美術館にあまり行かない人はこんなことを思うかもしれません「どうせ絵画見てもわかんないから、つまんねえよ」 「高尚ぶっちゃってw乙ですww」 「いやいや、教養ないやつが美術館とか、イキりすぎでしょww分かった風にうなずいてんじゃねえよ」 正直美術館の楽しみを理解するまで、私もこんな風に思っていました。美術館って頭良く
どうも、クソ倫理観オブザイヤー日本女子代表(自称)の半透明です。 あと数か月で大学を卒業予定の半透明は最近、思うのです。「ワイってこのまま処女のまま死んでまうんかね?」と、疑問に思うのです。 中学ごろから人間嫌いで友達も1人もおらず、恋愛感情の何たるかも分からない。親にさえ関わりたくない、と思ってしまうこともあるぼっちの化身なので、恋愛は完璧に諦めています。他人の嫌いなとこををいち早く見つけることができる、という世界で一番程度の低い特技を持っているので一度関わった人間はも
今回私が語りたいのは、身体の健康な人も含め皆にひらかれた安楽死の制度を導入すると、結果的に多くの人が生きやすい世の中になるのではないか?というお話です。 私の考える課金制安楽死制度というのは、政府に一定以上のお金を支払えば、誰でも安楽死できるというもの。これだけ聞くと「いやいや、気楽に死ぬ人が増えて、人口も減るし日本が衰退するよ」と反論が出るでしょう。しかし、この制度がいかに合理性のあるものなのかは後ほど語っていくので、まず私の意見をお聞きくださいな。 Start 安楽
突然だが、あなたの部屋はきれいに整頓されているだろうか?毎日とは言わずとも、床は掃除機がかけられていて、トイレやふろ場は他人が使える程度の状態に保たれているであろうか? 私の部屋に関しては、否である。 小さいころから片づけは出来ないタイプで、モノはそこそこの頻度でなくしていた。ADHDなのかと自分を疑ったこともあるが、その他の部分では生活に支障が出るほどADHDよりの行動パターンをしているわけではないので、たぶん局所的にADHD的傾向をもつただの怠惰な人間なのだ。 片づ
前の記事でアセクシュアル自身によるアセクシュアル論というのを書いたから、今回はアロマンティック・アセクシュアルによる恋愛観を書いていきたいと思う。 結論として、そもそも人間に「恋愛感情」自体は存在しないが、性欲を美しく装飾することで性欲を文化化し、性欲が文化化したものを「恋愛」と呼ぶのではないか、という説をとなえたいのだ。 これは、恋愛を否定するNOTEの記事を読んで直観的に思ったことで、実際にはもっと恋愛は複雑なものなのだと思うが、メモ書き程度のものなので、ご了承願い