29 スピリチュアル治療とその前後のエピソード
今回は私の健康、心身のコンディションに関するスピリチュアルな体験を語ってみたい。
幸い、私は小さい頃から大病をしたことはなく、怪我も捻挫程度で骨折の経験もない。
ただ生来、喉が弱く冬になると咳き込むことが多い。その時期は好きなコーヒーをやめてハーブティーに切り替えてなんとか過ごしている。
一時期はジョギングに勤しんでいたことがあり、その頃は運動量が多くて免疫力も上がったせいか咳き込むことはなかったが、コロナ禍のここ数年は在宅勤務も増えて運動量が減り、今年の冬はまた咳き込むことが多くなった。
その時の体験を紹介する。
まあ、体の調子が改善に向かう時期にたまたまそういう体験をしただけと言われるかもしれないが、あのハチの羽の振動は、治療のために私の喉のチャクラを刺激してくれたのかなと思うようになった。
私が実体験から理解したこととして、高次元の存在には2つの系統がある。
世間はなんと言っているか知らないが、私は守護系と祭り系と呼んでいる
(記事20参照)。
守護系というのは、私が生まれる前から守ってくれると約束してくれた方々で、家族以上のつながりがある。ただし守るといっても普段は見守るだけ。
何かあっても簡単な警告やメッセージを通じてアドバイスをしてくれるだけで直接的な援助はない。私はそのアドバイスを受け入れるも拒否するも自由。全ての問題は自分自身の責任で解決しなければならない。だが、彼らのメッセージは的確で示唆に富んでおり、そもそも彼らの存在自体がとても暖かくハートフルである。
この守護系の方についても先日、ちょっとした体験をした。
一方、祭り系というのは自然界、またその精霊を司っているようで、前世や生まれる前からの縁はないが、私は、何かの縁が生じたようで昨年9月に遭遇した。
上述した治療体験はその祭り系の方々の援助だったと私は直観した。
祭り系の方々は守護系の方々と違い、(こう書くと怒られるかもしれないが)援助の仕方は強引というか、見守るどころかこちらの意思とか関係なく直接働きかけてくる。いささか怖くもあるが、結果として助けられているので、この方々も本当にありがたい存在である。
ここでまた話は変わるが、今年の2月に入った頃から、ウォーキングのコースに近所の神社やお寺を意識的に組み込むようになった。
(自分の意思でそうしたつもりだったが、今思えば「呼ばれた」のかもしれない」)
御朱印をいただく人が多いと聞いたので、私も近所のお寺や神社でいただいてみた。
とはいっても本格的に行っているわけではなく、訪問した神社も数カ所なので御朱印も数枚程度である。
3月に入ってから、会社で仕事をしている時、一瞬だが、木でできた桶に綺麗な水が目一杯入っていて、その底に何枚か墨で文字が書かれている紙が数枚敷かれているビジョンを見た。
私は机で考え事をして目を瞑ったりした時によくビジョンを見るが、そのビジョンは瞑想中と同じようにメッセージ性があるのを知っていたので、なんだろうこのビジョンは? と思った。
墨で文字が書かれた紙は細かいところまでは見えなかったが明らかに御朱印のようであった。
ここでまた解説が必要になるが、私は瞑想中に器に液体が注がれるビジョンをよく見る。
大体が、器は透明なワイングラスやコップで、透明のきれいな水であればあるほど、器が満杯に満たされていれば満たされているほど、私の霊的なコンディションはよいという意味である。
逆に、汚れた液体であったり、水がぽたぽたと数滴ずつしか注がれていない場合は、あまりよくない状態。注がれる液体が器からこぼれているならばもっとよくない。
これらは私自身、メッセージを解析して判明している。
さて、その水と御朱印の入った桶の話に戻るが、これまでビジョンとしてはガラス製の透明の器しか観たことがなく、木製の器は初めてであった。
しかも御朱印が入っているとすれば、これは明らかに日本の神社仏閣系統からくるメッセージであると察した。
神社やお寺にお参りすることで、そこで祀られている神仏と縁、絆ができたわけだ。
私の観たその桶の水は非常にきれいな透明な水で、器一杯に満たされていたので明らかに私の霊的コンディションはポジティブで、御朱印は神道仏教系の援助のシンボルだと分かった。
お寺、神社はパワースポットであり、参拝者をスピリチュアルな次元で支えてくれることを私は改めて体験を通して知った。
そして、私が上述した祭り系の人々はどうやら神道、神社と関係があるようである。
記事20で目に見えない祭囃子を聴いた話をしたときはそこまで気づかなかったが、そもそもお祭りと神社は深い関係がある。
昨年9月に私は高次元の祭囃子を聴きメッセージをいただき、12月に上述のスピリチュアルな治療をいただき、今年の2月に近所の神社お寺を訪問して御朱印をいただき、3月にその御朱印を通じて神仏と絆ができてサポートまでいただいていることを、内的ビジョンを通じて知らされた。
このように時系列で追っていくと、全ては祭り系の方々の導きではないかと思うようになったのだ。
私は神社やお寺に行けば祈り感謝を捧げはするが、現世的な願い事一つせず、ここ数年お守り一つ買っていない。
先日、通勤用鞄の中を整理していたら、その数年前に買ったままのお守りが出てきた。
お清めもお焚き上げもしないままだ。
私が日本の神社仏閣の神様・仏様への信仰がいかに不熱心だったかよくわかるが、これも私なりに言い訳がある。
神は唯一の存在でその神は私の魂、ハートに繋がっていて、神は私の内に存在すると普段から感じているから、自分の外にある神社仏閣への信仰は熱心ではなかったのだ。
だがこの一連の流れを振り返り、この態度も改めなければならないと感じるようになった。
内なる神への絶対的信頼は今後もなくなることはないが、祭り系の人々が私を神社仏閣への参拝へと導いてくれたのであれば応じなければならないと思うからだ。
さて、ここまではいいが、少々参った話がつい最近あったのでこちらも紹介しておきたい。
上述の別次元のスズメバチによるスピリチュアル治療でせっかくよくなった体調だが、2月にはいってからまた咳き込むようになった。
前述した通り近所の神社詣をしていた時期だったし、そのパワーが私を支えてくれているというメッセージをもらっただけに訝しげに思った。
私はその背景を知ろうとして瞑想をした。
すると一つの事実が思い返された。
私は以前の記事で、ある小さな神社で体験したことをネガティブに捉えた記事を書いた。
(記事23)
私は参拝者に問題があると書いただけで神社自体を否定したつもりはなかったが、いずれにしろそれがよくなかったようだ。
これ以上よくないことが起こってほしくないので、余計な主観を入れずに事実だけ書くが、その神社は近所にある小さな稲荷神社である。
先週、隣の市にある別の大きな稲荷神社にお参りしようとした。
神社巡りの書籍にも紹介されているくらい大きな有名な神社で、山間部ではなく住宅街にあるので道もすぐにわかると思った。
だがどういうわけか、なかなか辿り着けない。
Google Mapでしっかりルートをチェックしていたが、そのGoogle Map の案内するルートが間違っているようで、行っても行き止まりになっている。
以前、用水路に木の板を数本渡しただけの適当な道であってもGoogleでルートとして案内されていて、そのきめ細かさと正確性に驚いたことがあった。
私にとってGoogle Mapの信頼性はそれほど高かっただけに、今回のこのルート紹介の間違いは意外だった。
私は不思議でたまらずあれこれ周りを探したが、どうしても道が見つからない。
少し見上げれば、その神社の本堂や赤い鳥居、石の囲いも見えるのだが、住宅に囲まれてそこに辿り着く道が見つからないのだ。
そんなことってあるのか。
そこで私は、心の中でお稲荷さんにお参りをさせてほしい、お稲荷さんの神社は全てリスペクトしています、と強く心で語った。
まあそれが功を奏したかどうかわからない。
いずれは見つかる運命だったとは思うが、小さな、本当に小さな横道が見つかり、それに沿ってあれこれ歩いて行ったらようやく正面の鳥居の前に立つことができた。
そして無事、参拝を終えて御朱印もいただけた。
帰宅後、私のように神社への行く道が分かりにくくて難儀した人がどうやってその神社に辿り着けたか気になり、関連のウェブサイトで検索してみた。
意外にもそんな記事は全く見当たらない。
その神社の写真を見たら、私が通った小さな横道どころか、堂々とした大きな参道が紹介されていてびっくりした。
私は駅から直接行ったわけでなく、別の場所で用を済ませてそこから行ったから、そのメインルートとは別の最短ルートをアプリで案内されたからだと思うが、とらえ方によっては、
お稲荷さんから嫌われていた?
と思わざるを得ない出来事だった。
御朱印ももらえたということは、もうこれで許してもらえたわけだからまあ安心だが。
(ですよね、お稲荷様)
以上の通り、昨年の秋からの半年間いろいろあったわけだが、原因なくしては結果もあり得ない。
皆さんも良いことが続いているならいいが、体の調子が悪かったり運気の流れが悪いなと思う時は、見えない次元で何かやらかしてないか振り返ってみてはどうだろうか。
出来事の表面だけ追っかけていてもわからない様々な働きかけが別の次元で起きていて、それに対して心当たりがあるならば解決策も見つかるかもしれないので。
それではまた。
読んでくれてありがとう。
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