天中殺ツライ・・・色んな事が白紙になっていきます・・・。ああ、なんだったんだろう、今までの人生って・・・ってなってる。自分の魂通りに生きれば良かったのに、勇気なかったから。でもそれは身体的な原因もあるのさ。。。原子反射って前にも書いたけど、その中の恐怖麻痺反射の影響も大きいと思っている。肝心な時に勇気出せないという特徴があるんです。お母さんのお腹の中にいる時のストレスの回避パターンをひきずって、生まれた今も生きてるから、、、つまり身に力を入れて守っているから、行動という勇気に
一人になれる能力を!と思って一人になってみたけど、やっぱり社会とのつながりが無い孤立状態は人として無理、という事がわかった。共依存はだめだ!と切ってしまったり距離を置いたりしていたけど、そんなに極端にやるものでもなかった。私はバランスが悪いんだ。バランスが悪いのは「原始反射」の影響もあるかな、と思った。胎児から生後2~3年で様々な発達を統合していくのだが、その反射が未消化のまま終わると反射が成人になっても残り、様々な影響が出るらしい。その影響の項目に当てはまる事が多く、「これ
音に敏感だったりするんですが、例えば外から家に入ってくる騒音だったり。それが気になる事を言うと周りからは神経質だ、とかそういう否定的な事を言われてきた。 私の場合はそういう音に敏感になっているのって、幼少期のトラウマからだろうな、と思っている。毎日毎日家族は大きな声でケンカして、耳を塞いで泣いていた。子供が泣いてても自分たちのケンカを優先させて、挙句に「どっちが悪いと思う?」なんて聞いてくる家族。知らねーよ!大人なんていない所で育ってきました。 小学校でも学級崩壊のクラスで、
愛を与えられない所で育ってさ、後年自分でその与えられなかった愛を与える事って、言葉で綴るより全然難しい。 前より進んだなっていうのは、掃除とか料理を日常的に自分でやれるようになった事かな。そんな事⁈って感じの人もいるだろうけど、前は掃除とかほぼやんなかった。でも死にたくないな、生きたいなって事を本能的に知ったから(手術後)自分の自己分析始めたら、なんか今まで見えなかった現実を受け止められるようになれたのかな。汚い、とか思えて掃除し始めた。料理は前からやったりしてたけど、もうほ
うっかり削除しちゃったので、もう一回アップしてます。 仏教用語で「衣正不二」という言葉を見つけた。自分と自分の回りを取り巻く環境は別のものではなく一体であり、周りで起きる出来事も周りにいる人間も全て自分自身の心の状態を投影させたもの・・・という意味。 ユングも同じような事を言ってたわ。 これは現代の日本の「科学的」な精神科医療の現場で患者が言えば、「妄想だ」とか「統合失調症だ」とかになるんだろうな、と思う。あまりにも精神科は物事を科学的な、目に見えるものだけを信じて頼り過ぎ
アメブロ時代に書いた記事で、「自分に良いことをしてくれた人達の幸せは願い、自分を傷つけた人達が不幸になるのは喜ぶ」みたいなストレートな感情を書いた記事をあげたりしたけど、人を呪うと、恨むのは嫌だなーと思うようになりました。恨むとか…そういう思いはできたら手放したい。赦したい。 酷いこと言われても、されても、それに感情的に応えたら相手と同じになる。本当に自分を愛している人、他人を愛せる人は他人に酷いことは言わない。しない。 自分を大切にする事は、自分の感情を譲らないで、時に人を
楽しいってなんだろう、と考えているこの頃です。いや、そんな事考えなくてもわかるでしょ!って言われそうだけれど、わかんないんです。 自分の感覚全てを親に捧げて生きてきたから、自分にとって何が嬉しいとか楽しいとかわかんないんです。 伽藍堂なんですよね、感覚的に。自分の実体が無い。虚無。 だから生きられないな・・・と絶望してたんですけど、なんとか何か無いのか・・・と目をつぶって横になって自分の内を探ってたんですよね。そうすると、どこかから沸いてくる混沌とした感情が上がってきて、それ
あけおめです。生きてま~す!!生命に乾杯! 最近は日記みたいな独り言を紙に書くのが日常になってます。そしてインナーチャイルドみたいなものも出来て、安全基地をコツコツ作ってます。人間、極限の状態になると使ってない脳の機能が作動しますよ。すごいわ・・・ニンゲンの可能性。 ブログあげてない期間も心理本とか動画とか見たり聴いたりしていたわけですけど、私の問題だった事はやはりアイデンティティーの確立が不完全だった事で、自我が無かった事が全てを狂わせていたってわけだ。正確にはずっとあった
コロナ渦で医療が逼迫し、具合が悪くても受け入れてもらえない事が問題となっている。 「コロナにかかって苦しんでいるのに、自宅で様子を見なければならないなんて・・・」 そんな国民の嘆きと怒りの声が上がっている。 しかーし!精神科の医療なんて、まず夜間とか具合悪くなっても受け入れてくれる病院があまり無いという現状なのです!!通院してる患者は診るけど、他院の患者は診ないとか、そもそも精神科の患者を夜間救急で診てくれる病院が精神科に特化してる限られた病院しかない!具合悪くなった時に夜
依存性が高いと言われるベンゾジアゼピン系の精神薬。その薬を止めた私の体験談と、これからの日本の精神科医療についての私論です。 Shortnoteサービスが終わるという連絡が来て、てっきりnoteが終了するのだと思ってましたがそういう訳では無いんですね。終了すると思ってブログ放置してましたw それはさて置き~今回はベンゾジアゼピン系(言いにくいな~)(以下ベンゾ系と表記します)の精神薬を止めた方法を書きます。長い事(8年くらい?)ベンゾ系の睡眠薬を飲んでいた私。眠れますけど
さて、どうやって境界性パーソナリティ障害の地獄の苦しみを緩和していけのるかというと、私の場合は死をダイレクトに見るような大きな出来事がきっかけで、緩和の道が開けました。 そのきっかけは手術に失敗した事なんです。最悪ですね。鼻の通りを良くしようと手術をしたところ、全身に不調が出てしまうようになり、死なないまでも死に近い場所を見る事で、逆に精神状態が良い方向へと向かっていったんですね。いや~命がけですよ(笑)今も体は完治してないので、治療に通っています。これで外科医含めた医者全体
どうも。柿と申します。アメブロさんの方でブログを書いていたんですが、こちらのnoteさんの方もやってみたいなと思い、始めました。 アメブロさんの方では境界性パーソナリティ障害についての自己治療の仕方だとかを書かせて頂いてたんですけど、こちらの方でもそのテーマについてやらを書いていこうと思っております。 あ、私、境界性パーソナリティ障害と診断が下った者です(笑)よろしくお願いします。 最初は診断が下った経緯みたいなものを、自己紹介がてらお話します。 診断名が下ったのは今から