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自分を愛すこと。

愛を与えられない所で育ってさ、後年自分でその与えられなかった愛を与える事って、言葉で綴るより全然難しい。
前より進んだなっていうのは、掃除とか料理を日常的に自分でやれるようになった事かな。そんな事⁈って感じの人もいるだろうけど、前は掃除とかほぼやんなかった。でも死にたくないな、生きたいなって事を本能的に知ったから(手術後)自分の自己分析始めたら、なんか今まで見えなかった現実を受け止められるようになれたのかな。汚い、とか思えて掃除し始めた。料理は前からやったりしてたけど、もうほぼ自炊の料理。自分の体に合ったものがわかるようになった。
親って子どもの事を思いやって、尊重して、特別扱いするって動画で知って、あ、そうか。私今まで自分の事を一番に優先してこなかった。って思って。自分のやりたい事を恐怖でやれてこなかった。その恐怖って、信頼されない恐怖だったり。親は私のこと信頼しないで、過干渉だったけど、私は私を信頼しないとな、って。根拠なく。
やりたい事やろう、って今は思う。恐怖は破壊していきたいって思う。人を尊重して。何一つ外の世界は思い通りになんない。私は恐怖から思い通りにしようとした。それは母が私を自分の安心の為に思い通りにしたように。私はモノじゃねんだよ、と両親に言いたかった。アクセサリー扱いっつーか、世間体良くするための道具みたいに扱われたのが、すごい…傷ついて、自分の存在を自分で消す事になった。そんで、そういう自分だと、周りの人間も雑に扱ってくるので、嫌な気持ちをたくさん味わった。私は自分を大切に扱おうと思った。両親もそういう扱われ方してきたから、自分の子供にそういう扱いしたんだと思う。
20代の頃に書いた詩で、「モノじゃない」って言葉が出てきたり、無意識にはもう叫んでたんだ、と気づいたりした。
もう、外の世界は母じゃない。命握ってんのはいつも自分。
現実は自分に必要な事しか起きない。だから大丈夫。

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