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新年から分析!

あけおめです。生きてま~す!!生命に乾杯!
最近は日記みたいな独り言を紙に書くのが日常になってます。そしてインナーチャイルドみたいなものも出来て、安全基地をコツコツ作ってます。人間、極限の状態になると使ってない脳の機能が作動しますよ。すごいわ・・・ニンゲンの可能性。
ブログあげてない期間も心理本とか動画とか見たり聴いたりしていたわけですけど、私の問題だった事はやはりアイデンティティーの確立が不完全だった事で、自我が無かった事が全てを狂わせていたってわけだ。正確にはずっとあったんだけど抑圧し過ぎてて、自分の本当の気持ちが分からなかったり、そのせいで意見も言えなかったりしたわけだ。私の意識は個人的意識さえ抑圧し、集合的無意識にあって、故、自分と他人が同じ!という奇妙な精神構造で生きていた、というわけです。でも他人の考えと自分の考えが全て同じだったわけでもなかったので、集合的無意識と個人的無意識の狭間で生きていた・・・という感じです。分かりにくいねん!という声も聞こえてきそうです。図にするとこんな感じです。

ユングの心理学による図なんですけど(【ユング心理学】ユングの考えた心の機能「類型論」の性格や機能のタイプを解説します | キャリアのみちしるべ (kyariamichi.com)
こんな感じで人間の精神は造られていて。これ上から見た方がいいんだよな。。。図を書ければいいんだけど今そんな手段を持ってない・・・。

この図の方が上から見る感じ分かりやすいかも。集合的無意識・・・つまりは他者、全人類共通の世界。誰からも教わってないけど知っている事。と、個人的な過去の傷ついた体験を抑圧している個人的無意識の狭間、私はそこで人に愛されるための自分を演じて生きていました。そうしたら安心できていたからです。物心ついた時に思った事、他者と違ったら、普通からはみ出たら、私はこの世界で生きていけなくなってしまう。という本能的直観がありました。生物は群れをなして生きる動物でもあり、言語が話せないオオカミに育てられた人間はやがて人の中に入ると死を迎えるというように、孤立をすれば生きていけなくなる・・・という理の直観。なので自分を守るために他者をまねして生きていこうと思ったわけですが、同時に個を抑圧する事になります。他者と同じ事をすれば、合わせていれば安心が手に入ると思ったわけですが、(親なんて守ってくれませんから。)それは正解ではなかったです。自分の気持ち、体の声に耳を傾けるようになってから数年、自分の個を大事にするようになって、自分を大事にするようになって、自分の安心は最早、自分の中にしかないと気付かされていきました。そしてインナーチャイルド・・・的なものを作るようになりました。創造の世界は奥深く、何年研究してもし足りないくらいのものなんだな、とそちらの世界に目を向けるようになりました。どんな時でも帰ってこれる場所、自分の味方になってくれる場所。「安全基地」と言われるものを作るようになっていきました。そして他者とは全ては分かり合えないもので、結局人間は独立・孤立した生き物だと思いました。物理的には繋がっていても、精神的には合致するものではない。
はっきり言って脳みそ壊れそう!と思いましたが、そこで踏ん張り、愛情の飢餓感と不安や恐怖をどこへ持ってくかと言えば内的な創造の世界しかありませんでした。そうして何とか脳みそ保ててます。絵を描いたり、詩を書いたりすると、自分では意識してなかった問題が出てきて、問題の解決へと導かれる事があります。だから人間は芸術を発見したんだなぁと思いました。そうして自分の奥深くまで見た時、本当の集合的無意識と繋がれます。(ユング の言う元型の象徴が文言や絵に出てきた時)その時こそ孤立を忘れさせてくれる瞬間です。

色々内側を見すぎたりして脳みそが辛くなった時は、無理せず、気分転換に現実でストレス発散します。ユーチューブ見たり。お笑い見たり。そうしないと生命が危険だから。何事もやり過ぎると良くないです。

外に恐怖は無く、自分の内にあると気付き、私はその恐怖と闘うようになりました。自分が何が怖くて、何が生き辛くさせてるのかを知ろうとしました。
そして自分を本当に愛したいと思い、今の自分の良い所も悪い所も素直に認めようとしています。そうすると自分の実際の正味の像が見えてきました。認めたくない部分はたくさんありました。けどそれでも、ずっと一緒に闘ってきた自分です。辛さや痛みや苦しさに耐え続けて、壊れて、それでも生きてきた自分です。ゆっくり愛していこうと思いました。そして自分を信じていこうと思いました。
パンドラの箱の中に最後に残るのは「希望」です。自分だけは自分を諦めないで、見捨てないで生きようと思います。

それにしても自分でない他者を演じて生きるという事は、他者に愛され、受け入れられる為だけに生きようとする事は、本っっ当に疲れた。疲れた所じゃない。シャレにならない。いやー気付けて良かったですね。
今までの人生は何だったのかしら・・・とか悲しい現実が残ったけれど、これからは自分が行きたい方向に向かって生きていきます。



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