見出し画像

問題解決

うっかり削除しちゃったので、もう一回アップしてます。

仏教用語で「衣正不二」という言葉を見つけた。自分と自分の回りを取り巻く環境は別のものではなく一体であり、周りで起きる出来事も周りにいる人間も全て自分自身の心の状態を投影させたもの・・・という意味。
ユングも同じような事を言ってたわ。
これは現代の日本の「科学的」な精神科医療の現場で患者が言えば、「妄想だ」とか「統合失調症だ」とかになるんだろうな、と思う。あまりにも精神科は物事を科学的な、目に見えるものだけを信じて頼り過ぎた考えなんだよ。(精神科だけじゃないけどね)例えば、小説をただ文字を追って読んでるだけって感じで。大事なのは「どうして」この作者はこういう話を書いたのだろう。こういう言葉を用いたのだろうという視点で見ないから何も物の本質を見れないんだと思う。
物事の本質を見るには、その物事を球状で見ないとならない。そうすると科学的視点という一極地点だけでは偏り過ぎる。形而上学的な視点からも見ないとバランスが取れない。
目に見えるものは分かりやすいし安心だから、現代人は極端に目に見えるものや、分かりやすい数字に依存している。

自分の身の回りに起こる事っていうのは、自分の心を鏡のように映し出すようなものだ。問題が起こった時には自分の内側を覗いてみると、自分の抱えていた問題が分かったりするものだ。

自分の現実での姿、総合的に見る方法は自分の内側を見て、そこにある姿見を見ればいい。でも私は姿見ばかり見すぎて(他人の目に映る自分を気にし過ぎて)目の前にある鏡を直視できていなかった。(だから自分を総合的には見れてない)
直視すれば見えてしまう。今まで自分をおざなりにしてきてしまった自分の姿が。極端に自身の個性化を妨げ続けた結果、神経症を発症した。
ごく、自然な成り行きだ。精神病の人は怖いとかそういう人がいるけれど、自然な成り行きでそうなっているだけだ。精神科に通院する人というのは、先天的な何かの要因が原因というよりも、むしろ後天的な家庭環境に問題のある人が行く所だとも思う。何かしらの親との関係でのこじれがある。その糸を自分で解いていくのが、治す第一歩だと思う。投薬治療が先ではない。
人間の精神はそんな単純なものではない。
今までの昭和過ぎる精神科医療も変わっていくと思う。そういう時代の過渡期だと感ずる。

何事もバランスが大事、だよな。でも、鏡に向かって言った。「自分、よく頑張ってきたねー」と。そこでこみあげてきたものは、自分が自分を少し救えたって事かな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?