世間的より個人的を大切にしたい

音に敏感だったりするんですが、例えば外から家に入ってくる騒音だったり。それが気になる事を言うと周りからは神経質だ、とかそういう否定的な事を言われてきた。
私の場合はそういう音に敏感になっているのって、幼少期のトラウマからだろうな、と思っている。毎日毎日家族は大きな声でケンカして、耳を塞いで泣いていた。子供が泣いてても自分たちのケンカを優先させて、挙句に「どっちが悪いと思う?」なんて聞いてくる家族。知らねーよ!大人なんていない所で育ってきました。
小学校でも学級崩壊のクラスで、周りは暴れてて。親戚と深く接してきてたけど親戚も私の意見は聞かないで高圧的で(それ親戚は自覚してない)。そりゃ爆発して攻撃的に言いたくなる日が来るだろうよ。自然の成り行きじゃん。別に自分は病気なんだけど、先天性の病気ってカンジに思ってない。異常な環境的背景もあっての自然の成り行きと捉えてる。前の病院で当直の医師に「常識では考えられない人達」と親戚に説明した医師がいて、人としての尊厳を踏みにじられたと思った。こういう人は精神科にならないで欲しい。と思った。そう思う事はたくさんあったけど・・・自〇しようとした時に、別の当直に、「迷惑だ」って言われて。こっちもやりたくてやってるわけじゃなく、苦しみの果ての事だったのに。患者からしたらそういう人が精神科医だという事が迷惑だ。前の病院の主治医には「あなたはストレス耐性が低い」と言われてたけど、そりゃずっと自分の本当の意見言えないできたらストレス溜まるだろ。元々環境に自分を殺され続けてきて自分の本音がよく分からない人間がなる病気なんだよ、境界性は。

話を戻して・・・自分を抑圧していい子にしてきたのは、安心した環境にいる為に自分を殺して周りに合わせてきたから。でも思春期の頃家族に衝突して、家にも居場所が無くなって、親戚の所に居候してた時があったけど、そこでも傷つく事を言われたな。なんか周りに大人がいなかった。情緒的に成熟した大人がいなかった。私が10代の時、親戚に自分の意見を言った時、すごい怒鳴られた事があって泣いちゃって。もう親戚にも本音とか言えずに、また自分殺して演じて生きてきた。親戚が私を下に見ている事は感じていたし、でも受け入れて面倒を見てたのは、自分の劣等感を埋める為なんだろうな、と感じてた。なぜなら親戚は他人から私の面倒をみてる事を他人が褒められると嬉しそうだったから。そして、私に~してあげている、という見返りを求めてくるから。本当の善意なんかじゃない。そう分かっていてもしがみついてたのは安心が欲しかったから。そして10代でホームレスになる勇気がなかった。レ〇プとかされたくなかったし。これ以上そんな事でも起こったら、ホントに死ぬな、と思ったから。
親戚とは共依存的な関係だった。
だからそういう本物の絆が無い所には破壊しかやってこない。

そういう普通の環境じゃない所で生きてきたので、普通の人より音に敏感だったりするんです。怖い、と思うんです。そんな背景も事情も知らないで神経質だ、なんて人の事言ってくる普通の人の方が病気だと思う。

人に頼るより、自分に頼る事が正しかったな、と思う。私はあまりに閉鎖的な環境で育ってきたから、あんまり普通の環境とか、普通だとかわかんないで育ってきたから、余計混乱した事になってた。親戚は普通の家だと思ってたけど普通じゃないと今は思うし。すぐ感情的になる所は大人ではないからね。自分の思い通りにしたいから、或いはそうなって欲しいから感情的になるんだから。コドモなんだよ。

私も甘えてたな、と思うし。でも甘えるとロクな事にならないからやめる。
自分の事幸せにできるのは結局自分だよ。今は人生で1番幸せだからいいか。

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